夏目漱石「こころ」〜「K」が開けた襖の謎②

ココロ

https://penta-3.com/2020/03/14/soseki-kokoro-8/ の続きです。

Kの覚悟

Kは、「私」とお嬢さんの結婚が決まったことを、死ぬ数日前に奥さんの話で知っていました。

そのとき、自分がお嬢さんに好意を持っている、そのことを知っている「私」がなぜ?と思ったでしょうか。

「私」に対する不信感や嫉妬を抱くと考えるのが普通でしょう。でも、おそらくKにとって、自分以外の他者がどうであろうと大きな問題ではなかったのです。

Kは、図書館からの帰り道で「私」に相談したとき、自分なりの答えを見つけていたはずです。

「進んでいいか、退いていいか」の内容が恋愛ではなく「道」のことなら、「精神的に向上心のないものはばかだ」と言われ、「ぼくはばかだ」と認めたときに答えは出ていたのです。

自分の意志をむりやり通そうと、家族を不快にさせてきた自分。

心身ともに衰弱し、「私」に迷惑をかけてきた自分。

理想通りの道を進むこともできず、お嬢さんへの気持ちを制御することもできない自分。

どこに生きている意味があるのだろうか、そうKは考えていたに違いありません。

Kはすべてを自分で解決して来ようとした人物です。「私」に頼るのも、自分で自分のことを決められないのも許しがたい。

「覚悟」とは、そんな自分に死をもって決別する覚悟でした。

が、それをすぐに決行することがなかったのはなぜなのでしょう。

「私」に救われてきたK

Kは最後まで、他者との関係ではなく、自分の弱さと戦い、苦しんできました。

そんなKを「私」は支えてきました。

親から縁を切られた窮地を救おうとして同じ下宿に住まわせ、精神的に救おうとしてお嬢さんに近づけた「私」のこころに、Kは確かに救われていたのです。

しかし、「精神的に向上心のないものはばかだ」という言葉によって、迷っていた自分を断罪する覚悟は固まりました。「覚悟? 覚悟ならないこともない。」と。

そんなKにとって、「私」とお嬢さんが結婚することは、自分の死の覚悟を揺るがすものではありません。あくまで自分の問題だからです。

だから自分がいつ死ぬか、だけが問題だった。「死」という結論は決まっていた。

けれど、最後の一線を越えることはなかった。それはまさに「私」がいたからです。

土曜の晩、ついに彼は他者のこころ、唯一の理解者である「私」のこころに縋ろうとしました。

「襖」に隔てられたふたりの「こころ」

遺書を書き終えたKは、「襖」を開けて「私」の名を呼びました。

「二尺ばかり」というのは約60cmです。もし「私」が寝ているかどうかを確認するだけなら、その半分も開ければ済むことです。

あるいは、「私」に自分の壮絶な死を見せよう、見てほしいというならもっと広く開けるでしょう。

60cm。それはまさにKという人間が、「私」の部屋へ入るための間隔です。

体ひとつ分の長さをあけて、Kは自分の思いを伝えようとして・・・いや、伝えることさえするつもりはなく、ただ「私」のこころに近づきたかった、ということではないでしょうか。

けれど、「私」は目を覚まさなかった。

Kは、このとき世の中でたったひとりでした。

自分のこころにも、他者のこころにも寄り添えない、どうしようもない寂しさをKは遺書に書き添えます。

生きる意味がないことがもっと早くに分かっていたのに、なぜ今まで生きていたのだろう、という後悔の一文です。

それを書き終えた瞬間、Kは頸動脈を一気に切りました。

Kを救おうとして死に追いやった「私」

Kが開けたままの「襖」とは、「私」と彼のこころを隔てていたものでした。

最後に、Kが開いたそのこころに、「私」は気づくことができませんでした。

お嬢さんを取られたくないばかりにKを精神的に追い詰め、死の覚悟を強めてしまった、ということ以上に、「私」のこころを苦しめ続けた罪の意識が、ここにあります。

叔父に裏切られ人間不信になった「私」は、絶対にそういう人間にはなるまい、と信念を持って生き、窮地に陥ったKを救おうとさまざまに心を尽くしました。

それなのに、目先の欲(お嬢さん)に目がくらんで、取り返しのつかないことをしてしまった。

Kのこころを開こうとしていた「私」ですが、最後にやっと開いたそのこころに気づかないまま、Kは遠くに行ってしまった・・・

「こころ」は、そういう物語なのではないでしょうか。

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