Being(あり方)が問われる②~新型コロナウイルスの日々~

ココロ

今こそ見直す

感染の拡大とともに株価の暴落は止まらず、その他さまざまなところに影響が出始め、「戦時中」という言葉が飛び出すほどの状況になってきました。

ほんの数週間前までの日常が嘘のようです。

もちろんその中で、こういう時だからこそ今までの「当たり前」を見直し、できることを探してやっていこう、という機運が生まれてきたことも確か。

物事はすべからく両面、裏と表がありますね。

人は失って初めて、今まで当たり前に存在していたもののありがたみに気づく、と言います。

それはそうなのだけれど、今回のように今まで経験したことのないような事態、しかも一部の地域や国だけでなく全世界が同じ恐怖に直面しているという事態に対して、過去の「当たり前」は通用しないですよね。

むしろこうした状況でも耐えられる新しい社会、生き方を考え、実行していく。新型コロナウイルスの感染が終息したとしても、それを続けていく、それこそがサスティナブル、持続可能と言えるのではないでしょうか。

必要なのは「レジリエンス」

ところで今年のセンター試験の第1問は、河野哲也氏「境界の現象学」からの出題でした。

そのなかに「サステナビリティ」と最近のキーワード、「レジリエンス」が出てきます。

「レジリエンス」とは「攪乱を吸収し、基本的な機能と構造を保持し続けるシステムの能力」と説明されていますが、さらに、「環境の変化に対して動的に応じていく適応能力」という概念で使われるようになったということです。

つまり、もとの状態に戻る、というよりは、「絶えず変化する環境に合わせて流動的に自らの姿を変更しつつ、それでも目的を達成するのがレジリエンス」だと。

これを新型コロナウイルスに冒された今の状況に重ねてみれば、まさに問われているのはこの「レジリエンス」と言えないでしょうか。

「もとに戻る」ことを目標とするのではなく、こうした変化に柔軟に対応し、自らの生活スタイルを見直し、変えていく。それが新しい「当たり前」になるようにする。

たとえば企業のリモートワークが代表格でしょうか。どこにいても、離れていても仕事ができる状態に普段から慣れておく。

とすれば学校も、「リモートスタディ」を日常化させておく、ということも考えられます。

リアルな「学校」に毎日決まった時間に登校して学習する、ということだけが学び方ではないでしょう。

むしろ、生徒の自由度が増す分、自らの学びを推進することにもなります。

今までの「学校」のイメージを一度払拭してみる。今以上に積極的な学びのスタイルを模索して実行してみる。今回のような非常時にも対応できるようにしておく。

「当たり前(だった)」の日常を疑い、再発見しようとする心。それが「レジリエンス」ということに繋がるのだと思います。

(余談ですが、以下の記事↓がすごく参考になりました。感染を防ぐために有効なのは、中途半端な「隔離」よりもとにかく「人の移動」を減らすことが有効だということがわかりやすく理解できます。)

https://www.washingtonpost.com/graphics/2020/world/corona-simulator/

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