プロフィール

2019年9月に60歳を迎え、そして2020年3月、定年退職。22歳に大学を卒業してから38年間、ずっと公立高校の国語教師として生きてきて、あっという間にこの歳になりました。

学校という場所、教師という職業は、まあ言い出せばいろいろありますが、それなりに楽しく充実していたので、それほど自分の生活や生き方に疑問も持たずに来たんだと思います。

けれど、いよいよ退職の年になって、定年以降の自分の姿を想像してみたんです。

60歳を過ぎても、私たちの世代は64歳まで年金が出ないので、一般的には「再任用」という形でそれまでと同様の形で働きます。

給料は5~6割程度になりますが、慣れた仕事をそのまま続けられ(職場は変わることもあります)るので、おそらく今はかなりの方がそうした形で働き続けていると思います。

そもそもこの歳で別の仕事に就こうとしても、教員にはそれ以外のスキルも資格もないことが多いので再就職のハードルは高いですし、6割程度になると言ってもそれだけの給料をもらえる仕事は他にありません。

もちろん希望すれば全員が再任用されるというわけではないですが、まあ特に問題がなければそのまま働けます。

当然私もそうするんだろうなあ、と漠然と考えていました。2019年の夏頃までは。

けれど、なにか心に引っかかるものがあったんです。


このまままた同じ仕事を続けていくとして、最大であと5年。その5年が長いかどうかは置いておいても、さてそのあとは?

人生100年時代、もちろん何歳まで生きるかは分からないけれど、65歳以後はどうするのか?

非常勤講師で授業だけやるっていうパターンは多いし、それが一般的な道なのだろうけど。

でもそうすると、人生のほとんどを「教師」で過ごし、それ以外の仕事を経験しないまま終わるってことになる。それでいいのだろうか?

…それから、いつか60歳からの新しい道を考えるようになりました。

スタートするにはあまりに遅すぎるかもしれない、でもやらないことには始まらない。そういう気持ちがどんどん強くなってきます。

3人の子どもたちはすでに成人し、学費等の心配はそれほどありません。妻を6年前に亡くし、今は自分ひとりの生活が中心。住宅ローンは残っているけど、退職金と4年後に出る年金が頼りになりそう。収入は保証されなくても、チャレンジしてうまくいかなくても、来年以降に再び再任用を申請する道も残されている。

どんなことにもリスクがゼロということはありません。このチャレンジは、リスクマネジメントできているはず。

ここまでくれば、後戻りはできません。


それからこのブログを始めました。それは、自分の好きなこと、得意なことを生かしつつ、過去や常識にとらわれない生き方の履歴になるかもしれない。

自分のためでもあり、同じように感じている同世代の人たちを勇気づけるメッセージになるかもしれない。

そして何より、チャレンジする自分をこのブログが後押ししてくれる、そんな気がしていました。

どれだけの人が読んでくれるか、まったくわかりません。ただ、「始めること」だけがあります。

考えてみれば、今200㎞以上の距離を走れるのも、これまでの練習や経験の積み重ね。最初は10㎞走るのもやっとだったんですから。

同じように、ゼロからのスタート。それも還暦寸前の59歳から。でもまあ、それも面白そうです。


生涯ランナーとして

好きなこと、得意なことと言えば、まずは走ること。フルやウルトラマラソンを走り始めて15年。ありがたいことに故障らしい故障もせずに続けられました。

自己ベストは、

10㎞ 37’51”(2012)

ハーフ 1:23:47(2017)

フル 3:00:25(2007) です。

さすがにこの2年くらいはタイムが落ちてきて、サブスリーの目標も次第に遠くなりつつあります。10分台が続いています。

でも60歳代で3時間を切っている先輩もたくさんいるので、まだまだ諦めるわけにはいきません。

ウルトラマラソンも走っています。毎年欠かさず出ている野辺山ウルトラは昨年デカフォレスト、つまり10回完走の称号ですが、それになることができました。

今まで走った最高距離は小江戸大江戸の204㎞です。

2回完走しましたが、次は32時間で走るのが目標です。

30代や40代のラン仲間がどんどん増えて、一緒に走ったり飲んだりするのが楽しいです。


ランナーが本業?ですが、高校で国語を担当したりもしています。

生徒に評判のよかった歌詞の分析や、名言の紐解きなどもしていこうと思います。

言葉は奥深いです。


つらい過去もありました

6年前、29年間連れ添った妻が先に旅立ちました。

病名は悪性リンパ腫でした。

30代で発病し、寛解状態で10年以上経ったので、まさかの再発でした。

幸いなことに、母親の死を乗り越えて、3人の子どもはそれぞれ成長してくれました。

でもそうなると父親ではない、独り身の50男が残ります。

先行きの見えない孤独と向き合う日々。走ることは寂しさを紛らわせてくれましたが、何かが足りません。

でも今は違います。「希望」しかありません。

そう、こんな風に変わることができたのも、ある人との出会いがきっかけでした。そんなこともおいおいブログに書いていこうと思います。

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