…ある村人が大金(15錠)を拾い母親に渡すが、母親はそれを息子が盗んだものと、「返して来い」の一点張り。困った息子が拾った場所で待っていると落とし主が現れ、返したところ見ていた人が「拾ってもらったお礼を渡せ」と。ところが落とし主、「私が落としたのは30錠だ。半分しかないのに礼などするものか。」口論になり、役所に行き、聶以道(じょういどう)という人物が取り調べる。聶は、息子と母の言葉が真実で、落とし主の言葉は嘘と見抜き、判決を下す。「この金は天が正直者の母子に与えたものだ。おまえは落とした金を別に探せ。」そして15錠を母子に渡し、人々はその判決を称賛した…
この漢文のお話です。
定期テストでこんな問題が出ました。
「この判決のあと、落とし主はどう感じたと思うか?」
これは本文の内容を踏まえていて、理由がはっきり書いてあれば得点になる問題です。
なのでほとんどの生徒が記入していたのですが…
面白いことに気づきました。
「嘘をついたことで、せっかく拾ってもらった大金をすべて失うことになったので後悔している。」
授業では判決の妙を評価したまとめ方をしていたので、これがまあ予想された答え。大多数はこんな感じで書いてくると思ったのです。ところが、
「いくら嘘をついたとはいえ、自分のお金をすべて取られるのはおかしいと怒り、抗議すると思う。」
という答えが少なからずあったのです。
しかもそれが男子には見当たらず、ほとんど女子。
脳科学的に女性と男性の違いが証明されているわけではないはずですが、あまりにはっきり分かれていたのでちょっとおかしくなりました^ ^
前者は自分の「罪の意識」そのものに重点があって、悪いことはできないなーという心情ですね。
一方後者は、お礼を渡したくないためにウソをついた(=偽証罪?)としても、それは全額を没収されるほどのことではないという感覚ですね。
罪は罪として、きちんと平等に裁いてほしいということでしょう。
いや現在なら、「天から金が降ってきた」などという聶以道の判決は確かにあり得ません。
現実的に物事を考えるなら、判決を不服とする方がもっともです。
おそらくこの話を教科書に載せた編集者たちも、指導する教師も、漢文の教訓性ばかりにとらわれて、こんな感想が出るとは予想していなかったでしょう。
しかし今や、物事をひとつの価値観だけで考えてはいられません。
今まで当然とされていたことが、そうでなくなる経験は、私たちもしているはずです。
「論理か心情か」という二択で単純に考えるのも、どうも足りませんね(^_^;)
というわけで、この答えももちろん◯にしました。いろんな声があがって、議論になって、そうやって世の中は変わっていくのでしょう。そのこと自体自然だし、肯定的に考えたいと思います。
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