「国語」は難しい?

日々のこと

現代文をやっていると、これ、どうやって説明すればいいんだろう、と思うような言葉がしょっちゅう出てきます。

「概念」とか「観念」とか。

「アイデンティティ」とか「ポストモダン」とか。

言葉の意味は辞書(今生徒はほとんど電子辞書を使ってます)を調べれば載ってはいますが、おそらくそれを見てもイメージが湧かない場合もかなりあります。

もちろんその語が使われている文脈によって、意味内容も変わってきますし、辞書の説明を丸暗記したところで、それだけでは役に立ちません。

聞いてみると、生徒がふだん仕入れている情報は、ほとんどがネットです。新聞はまったくと言っていいほど読まれておらず、テレビもそれほど。言い方は変ですが、いわゆるマスメディアはこと彼らにとっては「マス」ではないようです。

その是非は置いておいて、それはかつて教科書以外で仕入れてきた情報はもとより、「教養」の要素もほとんど共有されないということになります。

誰もが知っているはず、と思って話しても全員には通じません。

それで最近は「キーワード集」という副教材が各社から出されていて、その語の原義や、多岐にわたる使われ方を説明してくれています。

試しに昨年、その中の1冊を全員に購入させて、読む動機づけのために週に一度小テストをやったりしてみました。(ただこの小テストが、暗記的なものにどうしてもなってしまうのですが)

一定の効果はあったと思いますが、やはり教科書や模擬試験で読まされる文章とのリンクはなかなか出来なかったようです。

言葉を単語として認識しているうちはダメなんでしょうね。

さまざまな人の、さまざまな文章を読んで、そこで使われる言葉をはっきりと分からないながらも、文脈を通してなんとなくイメージする。

そういう経験を繰り返すことでしか、抽象的で難解な文章、たとえば今やっている「無常について(小林秀雄)」なんかが読めるようにはならないですよね。

でも「6年前のセンター試験には出たんだよ。」と言って無理矢理読ませますが(^_^;)

(小林秀雄の文章を高校生に読ませる必要があるか、入試に出す意義があるのか、という意見もありますが、それについてはまた。)

運動部でも文化部でも、部活動をやっていれば、練習を積み重ねたから自分が出来るようになった、上手くなったという実感があるはずです。

ふだんの生活はともかく、国語だって授業でその練習を重ねればいずれ理解できるようになる、と話してはみるのですが。

すぐ分かる「正解」を求める生徒ほど、そんなふうに思えないんですよね…あ、でも大人も同じか(^◇^;)

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