「不安」と「希望」は同じことの裏表であって、対義語ではありません。
辞書的に言えば、「不安」の対義語は「安心」、「希望」は「絶望」でしょう。
不安の多くが未来へのものであるのに対して、絶望は「今、ここ」にあって、しかも決して変えることができない現実。
先のことなど一切考えられないし、おそらく誰の、どんな言葉も届きません。
まして、「希望」などと。
そんな時、どうしたらいいのでしょう?
フランクル「夜と霧」
わたしたちが生きることからなにを期待するかではなく、むしろひたすら、生きることが私たちからなにを期待しているかが問題なのだ、ということを学び、絶望している人間に伝えねばならない。
「どうすればよいか」という問いへの答えはありめせん。
ただ、「どう考えたらよいか」には、このフランクルの言葉があります。
生まれて、生きている以上、存在する「人生」。その人生がわたしに何を期待しているのか、私が私の人生に何ができるのか。
「私の人生」という逃れられないものを、敢えて対象化し、客観視する…なんという知恵でしょう。
この言葉を知っていたからこそ、妻の病気や死にも耐えてこられたような気がしています。
あなたがもし、救われない苦しみのただ中にいるのなら、少しだけこの言葉が響いてほしい、そう思います。
最近のコメント