「子どものため」という魔法の言葉

教育

教師とは不思議な存在です。

どんなに忙しくても、時間がなくても、子どもを蔑ろにすることはなく、自分の時間を費やせるんですからね。

授業も、課外も、行事も、部活もみんなそうです。だからこんな記事が出ると、本当にそう、と思います。↓

https://www.bengo4.com/c_5/n_10622/

「この仕事は大好きです。とてもいい仕事だとほんとに思います。でも、教員のボランティア精神を頼りにして、なんとか回り続けてきた現場に限界がきているのだと思います」

「自分たちがこの環境で慣れてしまっているから、現状のおかしさに気がつかないのかなと思いました。異常な状態が当たり前になると、このままなんも変わらんと思いました」

学年会議では「子どものことを考えたら、こっちの方がいい」という意見の方が「正義」だ。「子どものため」という魔法の言葉がある限り、省力化する方向には進んでいかない。

弁護士ドットコムニュース

つまり、世間でようやく「教師の仕事はブラックだ」と認知されてきたにもかかわらず、肝心の教師自らがその状態を「普通」と思っているんです。

それが本当に「生徒のため」なのかは分からない、エビデンスも調べようがなく、検証もほとんどされない。でも生徒のために自分の時間というリソースを費やすことは紛れもなく「善」である。そういう風潮です。

ですから、「教師はブラック」は正しいとして、自らその色に染まろうとしている面もあるんです。

仕事は確かに忙しい。昔に比べればやらなければいけないことがあまりに増えました。パソコンや印刷機などの進化は著しいけれど、その分できることも増え、結局エンドレス。

この状態でも「生徒のためだから」仕方ない。やりましょう。それがこの世界の正論です。

学校の「普通」を見直す

これは批判ではなく、ちょっと立ち止まって、今までの「普通」を見直してみませんか、という提案です。

教師は真面目で誠実だからこそ、子どもに手をかけることを厭いません。でもそれが本当に必要なのか、その子のためになっているのかを考える必要があると思うんです。

今当たり前にやっていることは、むしろ自立を、自分で考えて行動する力を奪っている、という可能性すらあります。

かつての時代と、今は教育をめぐる環境も、教育そのものも大きく変化しています。いずれにしてもこのままの状態は、持続可能とは言えないでしょう。

「教員のボランティア精神を頼りにして、なんとか回り続けてきた現場に限界がきている」のは間違いありません。

働き方改革が叫ばれていても、現場ではこういう声はまだ小さいです。

でも言い続けること、少しずつその仲間を増やしていくことから始めるしかありませんね。

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