走りながら考えたこと

ココロ

走ることは仕事でもないし、趣味だからいつやめてもいいのに、走れば辛いのに、やめられないのはなぜなんでしょう? (そもそもやめようと考えたことはありませんが(^_^;)

15年前、フルマラソンを走り始めた頃は、もう年齢は40代半ばでしたが、まだまだ記録は伸ばせると思ってました。

新しいシューズやインソールを吟味して買ったり、ランナーズを定期購読して隅から隅まで読み、いろんな本を買っていろんな練習法を試したり、かなりのめり込んでました。

その頃は子どもも一緒に走ってくれなくなっていて、今のように一緒にレースに行く仲間もいなくて、基本1人で練習してました。それができたのも、レースで記録を狙うのが面白くなってきて、それが出来た時の達成感が半端なかったからですかね。

今は記録も伸びなくなってきているので、その頃とは多少気持ちは違いますが、相手のあるスポーツではないので、いくつになっても自分の目標に向かえる良さはあります。

「達成感」って、日常の生活でそんなに感じることはないですよね。

まず誰にもできることや、簡単にできてしまうことだと味わえません。

また仕事や家事は地道で退屈な作業が多かったりするので、どうしても「消化」の意識になります。

溜まっていたタスクをやりきったときにも感じることがありますが、それはむしろ「解放感」ですよね。

それに組織の中の仕事だと、決められたことへの取り組みであったり、その評価基準は自分じゃなくて他人だったりしますよね。

もちろんその中で小さな喜びを見つけることもありますが、「目標」に向かう喜びとはちょっと違います。

市民ランナーですから、誰に言われるわけでもなく、自分が目標とそのための課題を決めて、結果を検証してまた次に挑戦する、その繰り返しです。(まさにPDCA!?)

直接の対戦相手がいるスポーツでは勝敗が大きなファクターになるでしょうし、音楽や美術などの芸術系も評価軸が微妙(本当はそんなことはないのでしょうけど)かなと・・・

たまにレースで、ランニングシューズを履かずに素足で走っている人を見かけます。それはとても真似できませんが、なぜかちょっとうらやましく思います。

自分の足で、直接地面を感じているんですよね。

極端に言えば、ランニングは自分と道と風(たまに雨や雪)しかない世界です。

煩雑な人間関係も、悩みも、その時だけは忘れられるんです。

あ、なんか走りたくなってきた・・・(^◇^;)

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