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変わっていく学校
今、学校は大きな変革の波にさらされています。
「アクティブ・ラーニング(主体的・対話的で深い学び)」「カリキュラム・マネジメント」「アドミッション・ポリシー」「ポートフォリオ評価」…数年前までほとんど耳にもしなかった言葉が溢れ、それらをすべて意識して学校や授業を作っていくことが求められているのです。
とりわけ、今まで知識の伝達が中心だった授業は大きく変わってきました。
「何を学ぶか」だけでなく、「どのように学ぶか」「何ができるようになるか」を絶えず意識した授業計画が必要になっています。
そうすると、教師の役割も必然的に変化せざるを得ないと考えています。
「ティーチャー=知識を教える人」から、むしろ授業の「コーディネーター」、そして生徒の活動を促進する「ファシリテーター」へ。そう変わる時に来ているのではないでしょうか。
しかし、学校現場は多忙です。先生たちはこの大きな変化に何とかついていこうとしていますが、余裕はまったくありません。
教師という仕事がブラックだと認知されたことは、ある意味現状が正しく理解されたということでもありますが、一方で教師を志望する学生の減少にもなり、ますます高齢化が進んでいます。
日々の授業、少子化で生徒と教師の数は減っているのにいっこうに減らない行事や会議、そして長時間労働を余儀なくされる部活動。子どもたちのために、という熱意が強ければ強いほど時間は奪われます。
だからこれから必要なファシリテーションなどのスキルを学ぶこともなかなか出来ないまま、変わっていく現実に対応するしかないんです。
入試改革も同時進行
来年は大学入試センター試験も廃止され、数学と国語で記述式問題を取り入れた新テストが始まります。
暗記中心の学習からの脱皮を図ろうとする意図は理解できます。変化の激しいこれからの時代を生き抜くために、新しい社会を作るために必要なことだと思うからです。
しかし英語は外部試験を利用するとか、今までの感覚ではあり得ない制度の導入に、現場は大混乱しています。それで果たしてうまくいくのか、誰よりその急激な変化に直面する子どもたちに十分な対応ができるのか、不安は尽きません。
今まで多くの学校で知識技能の伝達が至上命題だったのは、大学入試への対応のため。その前提が変わるのですから、まさにコペルニクス的転回です。
私自身はもう定年なので、この波をそれほど被らずに終えられるのかもしれないのですが、このまま混乱する学校を眺めているのはなにか気まずい感じがするんです。
もし何か自分に出来ることがあるとすれば…
ファシリテーションを学ぶ
そう考えたとき思いついたのが、これから絶対に必要なファシリテーションそのものを学ぶことでした。
そしてそのスキルやマインドを少しずつでも伝え、広めることができれば。
ABD(アクティブ・ブック・ダイアログ)やSDGsカードゲーム体験会への参加もその一環ですが、先日はFAJ(日本ファシリテーション協会)の基礎講座に行ってみました。(感想は次回)
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