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タブーへの挑戦
ともあれ、MGC、特に男子の争いは半端なく面白かった。
これまでオリンピックのたびに選手選考をめぐってさまざまな問題点が指摘された中で、ほぼ一発選考というルールを作ったのは画期的なことだったと思う。
そしてそれがずっと破られなかった日本記録の更新につながり、あれほどの劇的なレースを生んだのだとすれば、紛れもなく大きな功績である。
陸連の思惑によれば、マラソン代表3名のうち2名はこのMGCで本番への調整力の高い選手を選ぶ。そしてもう1名は大迫の持つ日本記録を今後の3レースで更新すれば出場と、とにかくスピードのある選手を選ぶ。
これによって東京オリンピックでは、タイプの違う選手が走ることになり、海外勢と対抗できるのではということである。
またMGCに出場するためには、それまでに設定記録を破っていなければならないので、いきなり初マラソンで記録を出して、それが実力がどうかはっきり分からない選手を選出することにはならない。いわゆるフロック勝ちの代表も避けることが出来る。
MGCのコースがほぼ本番と同じで、気候的にも変わらない暑さの中で実施できたということも大きい。
さらには3番目の代表は、福岡国際、東京、びわ湖というこれまで選考の大会であったビッグレースから選ぶとなれば、それらの主催者やスポンサーにも配慮していることにもなる。
たとえ最初の福岡でだれかが大迫の日本記録2時間5分50秒を切ったとしても、最後のびわ湖でそれをさらに破ればいいのだから、最後まで3人目の代表が分からないスリルも味わえる。
選手の立場にしても、これまでのようにタイムなのか順位なのか、何を狙えばいいのかはっきりしないままレースに臨むことなく、このMGCだけに照準を合わせればいい。少なくとも不透明な選手選考ではなくなった。
こうして見ていくと、そして今回の結果を見ると、誰にとっても納得の出来る形が作られたと言えそうだ。
ここまではいい。だが、思ったことがある。
設楽悠太の功績
MGCレースを盛り上げた立役者、その最大の功績者を挙げるとすれば、それは設楽悠太である。
2月の東京で2時間6分台の日本記録(当時)を打ち立てたとは言え、9月中旬の、気温気温25度、湿度72%という条件での飛び出しはあまりにハイリスクである。
帽子も被らず、サングラスもせず、マイペースでひょうひょうと走る姿に、誰もが驚きを禁じ得なかった。
MGCがペースメーカーもいない、2位までを目標にするレースである以上、スローペースになって当たり前で、大方の予想はそのような展開だった。
しかし設楽が最初から超ハイペースで飛び出したことで、後続の選手には大きな心理的影響を与えた。
事実、大迫はこの飛び出しに慌てて、集団の後ろで脚をためていくはずが、つい前の方でレースを進めてしまったと語っている。
設楽自身は後半失速して14位に沈んだが、その勇気は讃えられるべきだろう。オリンピックでもこうした選手が出てくることは当然想定され、それに対応した走りが求められるということであり、こういう走り方をしなければメダルには届かないかもしれないのだから。
練習方法もふだんの生活も型破りな彼は、もしかするとこう考えていたのではないだろうか。
この暑さの中、自らを実験台にして、どこまでいけるのか。
そのときに他のランナーはどうするのか。
そのまま押し切れれば自分の強さを証明することになる。そして自分が予定調和的なレースをしていては、決して本番にはつながらない。日本をチームとして考えれば、そんなヤツが必要だと。
たとえダメでも冬のレースで日本記録を出せばいい、くらいの気持ちもどこかにあったかもしれない。
無謀にして感動的。それが設楽の走りだった。
もし、彼が集団の中でのレースを選択していたら、MGCはこんなに盛り上がっただろうか。そう考えると、まさに「レースは生き物」である。
「2位『でも』いい」ということの残酷さ
設楽が独走態勢になったことで、後続の選手はおそらく「2位」ということを強く意識しただろう。
つまり第2集団の中でトップになることが絶対条件になったわけだ。
そうすると迂闊には飛び出せない。しかしどこかで勝負しなければそのまま埋もれてしまう可能性も高い。
この微妙な心理状態のなかで、自分の走りができなくなってしまった選手がいただろう。
それと同時に、後半、集団の前で走った鈴木、橋本、中本…、それぞれが勝負を掛けた場面があり、そこでのサバイバルが見るものを興奮させた。
しかし、37㎞、設楽が集団に吸収された以後、MGCは別のレースになった。「2位でもいい」。
40km過ぎ、中村、大迫、服部、少し遅れて大塚、橋本。ほぼ上位3人の争い。
優勝した中村は、最高のレース運びだった。終始集団から後れることなく、最後の上り坂まで脚を残し、残り800mで2回目のラストスパート。文句のない走りだ。
服部も粘る。スパートする中村、大迫に話されかけても諦めない。最後300mで大迫を抜き、2位に滑り込む。
注目は大迫だ。脇腹痛を起こしながら我慢の走り。集団から遅れることもなく、いやむしろ積極的な位置取りだったように思える。
彼は、ほぼ3名の争いになったとき、いったい何を考えていたのだろうか。
見る限り、「2位でいい」という走りだったとは思えない。先を行く中村に追いつき、越そうとする姿は、日本記録保持者のプライドを賭け、優勝を目指していた。
もし、大迫が冷静に、中村でなく服部をターゲットにしていたら・・・、いや、「たら」はあり得ない。だが優勝した中村、2位になった服部以上に、大迫の走りには引きつけられるものがあった。
勝負には負けた、と言ってもいいだろう。3位はまだ可能性があるとはいえ、誰かが日本記録を出してしまえば東京オリンピックはない。
「優勝」なのか、「2位」でいいのか。その選択を42.195kmの最後の最後に迫られた選手たち。ある意味残酷なルールだった。
マラソンの未来
考えてみれば、男子30名、女子10名、たった40名のために、東京のメインストリートを通行止めにして、大勢の警察官、役員、ボランティアを駆りだしてしまうレースが行われたこと自体が奇跡である。
もうひとつ、陸連が設定したMGC出場権も絶妙だった。
1. 2017年8月1日〜2019年4月30日までの「国際陸上競技連盟が世界記録を公認する競技会」で、ⅰ、ⅱのいずれかを満たした競技者
i.男子2時間08分30秒以内、女子2時間24分00秒以内
ii.期間内の上位2つの記録の平均が、男子2時間11分00秒以内、女子2時間28分00秒以内
2. 第16回世界陸上競技選手権大会(2017/ロンドン)8位入賞者
3. 第18回アジア競技大会(2018/ジャカルタ)3位入賞者
4. MGCシリーズ各大会において、気象条件等によりMGCファイナリストの資格を1名も満たさなかった場合、強化委員会が出場資格相当と判断した競技者
「世界で戦える」ことを考えれば、これ以上条件を緩くできないということもあっただろう。参加資格者が出なくて4.の条件で拾う、という最悪の状況になったとしても。
結果は大成功だった。沿道で見ていたとき、完走27選手中最下位に沈んだ井上にも大きな声援が送られ、彼もまた懸命に走り続けていた。
順位に関係なく、この選ばれたランナーだけが走るMGCは、これからのスタンダードになってほしい、とさえ思える。
もちろん、来年の東京で行われるオリンピックだからこんなことができた、ということではあるだろう。2024年以降、外国で実施されるときに果たして周囲から理解が得られるのかどうか。
前述したように、設楽や大迫のような選手がいたからこその劇的なレース、4年後以降の展開はまったく分からない。
それでも、もう前に戻ることもできないだろう。
私たちは知ってしまった。マラソンがこれほど残酷で、だからこそ興奮し感動するものだと。
レベルは違えど、同じランナーとして感じた思いがある。
彼らのように目標を目指して、今日も明日も走り続けよう。
そこにマラソンの未来がある、と。
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