いつの間にやら日付は変わって
なんで年って取るんだろう
もう背は伸びないくせに
着信の音で飛び起きたけど
損したな 君かと思ったのに何かの手違いで
好きになってくれないかな
どうにも君のいない場所は
空気が薄くてさくだらない話は思いつくのに
出典「HAPPY BIRTHDAY」作詞:清水依与吏
君を抱きしめていい理由
だけが見つからない
あぁ そうか そうだよな
ハッピーバースデー
片想いの俺
back numberの曲の主人公は、みんな「僕」だったと思うんですが、この「HAPPY BIRTHDAY」に関しては珍しく「俺」という一人称です。
最初聴いた時にそのことが気になって、何か意味があるのかなとずっと考えていたのですが…
もしこれが「僕」だったら?
目次
呼び名によって変わるストーリー
日本語の一人称を考えてみます。
英語なら基本的にすべて”I”ですよね。ところが、日本語では、
「私(わたし・わたくし)」「僕」「俺」「自分」「わし」…このほか方言なども合わせると相当な数の代名詞があります。
小さい子や若い女性が自分のことを名前で呼ぶのもあり、さらに子どもに対して「ママ・パパ」「お母さん・お父さん」と立場で名乗ったり、数え上げればキリがありません。
ちなみに学校で自分のことを「先生」と言う「先生」がいますが、これってせいぜい小学生くらいまでじゃないでしょうか。
高校生に「先生はねー」と言ってるのを聞くと、なんだかなーと思ってしまいます。
それはたぶん小さい子に「ママパパ」って言っているような感覚に思えるんでしょうね。いつまでも子ども扱いしてる感じがするんですが、いかがでしょうか。
いずれにせよこの多様さは、強い自己主張を好まない日本人のメンタリティとも関わっていると思うんです。
誰がなんと言おうといつもどこでも変わらない"I"。
それに対して、年齢やTPOに応じて使い分けたり、相手との関係性を意識して変えたり。時にはパーソナリティの違いも表したりします。
その場、その関係に相応しいと思う言い方をするんですよね。
で、仕事では「私」。プライベートでは、ん?
そう言えば「私」も「僕」と「俺」を使い分けてました。
「片想いの『俺』」
さてそこで「HAPPY BIRTHDAY」の「俺」です。なぜいつもの「僕」ではないのか?
でもね、これ「僕」だと「♫ハッピーバースデー 片想いの僕〜♫」っていう感じなんですよね!
いや、なんか可愛すぎませんか?
というよりオトナの男にしてはちょっとキモい⁉︎(^_^;)
いつの間にやら日付は変わって
出典「HAPPY BIRTHDAY」作詞:清水依与吏
なんで年って取るんだろう
もう背は伸びないくせに
着信の音で飛び起きたけど
損したな 君かと思ったのに
ずっーと長いこと片想いの彼女がいて、電話の着信音が彼女からだと思いたがったり、
何かの手違いで
出典「HAPPY BIRTHDAY」作詞:清水依与吏
好きになってくれないかな
どうにも君のいない場所は
空気が薄くてさ
どうにもこちらに気持ちが向いてくれないんだけど、なんかの間違いでそうなったらいいなと妄想したり、一人きりの空間が息苦しかったり、
くだらない話は思いつくのに
出典「HAPPY BIRTHDAY」作詞:清水依与吏
君を抱きしめていい理由
だけが見つからない
当たり障りのない話は出来るけど、もう知り合って長いから好きとかそういうことは言えないし、抱きしめられるような状況だけは妄想できなくて、
あぁ そうか そうだよな
出典「HAPPY BIRTHDAY」作詞:清水依与吏
ハッピーバースデー
片想いの俺
今日は誕生日なのに。
「ハッピーバースデー」ってただ彼女に言ってほしいのに。
やっぱり「片想い」のままなんだ、オレ…
言葉にも相性がある。たぶん。
「俺」という言い方は、「僕」より男性性が強調されますよね。
一方「片想い」は両方使いますが、なんとなく女性っぽい、かな?
だから「片想いの僕」だと、なんか弱々しくて情けなくて女々しい男のイメージになり過ぎてしまいます。
いやもちろん、back numberの主人公の男性はみんな女々しい…という噂(←この点にも言いたいことがありますが、また別の機会に)ですが、「片想い」との相性があまり良くない気がします。
むしろ「片想いの俺」という相反する感じが、ちょっと強がってるけど弱気で自己主張できない優しい男性のイメージになってます。
まあそんなこと考えて「俺」にしたわけじゃないとも思いますが…
「片想い」というストレートな言葉を歌詞に使うのも依与吏くんの真骨頂。言葉そのままの気持ちを歌ってくれるから沁みるんです。
「片想いの俺」はすごく親近感が湧きますね。
そう考えると、もうこれは「俺」じゃなきゃダメです、絶対!^ ^
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