どんな競技でもそうだと思いますが、結果を出そうと思ったらそれなりにハードな練習が必要ですよね。
ランニングで言えばやはりスピード練習。やり方はさまざまありますが、キツイのは同じ。
それに取り組めるかどうかは、意志の力が試されます。だから「自分との戦い」と言うのが普通なのでしょう。
でもそれを敢えて「孤独」と言い換えてみました。
目次
結果を出すためには?
レースで満足のいく結果が出たとき、何が良かったのか考えます。
もちろん理由をひとつに決めることは出来なくて、「多分こうだったんじゃないか」としか言えないのですが。
ただし、レース本番の走り方と言うより、それまでの準備に大きなウエイトがあることは間違いありません。
「長い距離を踏めた」「筋トレを加えた」「うまく疲労が抜けた」「スピード練習ができた」など、いずれも今まで体感してきたことです。
でもそれも結果論で語っているだけで、本当はどうだったのか…
きちんと分析できればとっくにサブスリーなんでしょうけどね(^_^;)
スピード練習の必要性
目標とするレースが何か、それによって練習も変わってきます。
たとえばウルトラマラソンの完走が目的であれば、とにかく長い距離、30㎞以上をゆっくりでも走ることでしょうね。
でも、フル以下のレースは基本的に「タイム」を狙っていますから、ジョグやロング走だけでは足りないです。
そうなるとスピード系の練習をやるしかないと分かってはいるのですが…
できない理由はいくらでもあって、すべて言い訳ですが、きつい状況に自分をなかなか追い込めないんですよね。
以前はそれを自分の意志の弱さのせいなので、自分で解決するしかないと思っていました。
でも最近、つくづく思うことがあるんです。
誰と走るのか、がもっとも大事
先月、競技場のトラックで3,000mTTをやりました。その時は十数人で一緒に走って競う形でした。
もちろん最下位でしたが、少しでも離されないように、という気持ちはあってタイムは11:40。
先週も同じコースで同じ距離を走りましたが、違うのはひとりでスタートしたこと。先月のタイムより少しでも速く、というのが目標でしたが、タイムは11:43。
そしてきのう、近くの公園でまたひとりで走ってみたのですが、タイムは12:08、大きく遅れてしまいました。
コースもコンディションも違うので一概に比較はできません。でも同じように走っているつもりでも、やっぱり違うんですよね。
練習は基本的にひとりでするものです。でもスピード練習のような厳しい内容をこなそうと思ったら、そこに仲間やライバルがいてくれた方が絶対にいいんです。
なぜ一緒に走る方が頑張れるのか?
練習で出したことのない記録が本番で出るのはなぜか?
「自分」の弱さを叱咤激励してくれる存在がいるからですよね。
その「つながり」が思わぬ力を出させてくれるんですよね。
だから自分と戦う必要はないんです。
「孤独」であることから抜け出せば、「孤独」でさえなければ、厳しい練習にも立ち向かえる自分がいるはずです。
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