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英語民間試験の導入延期から始まった混乱
11月1日に、荻生田光一文部科学大臣から、大学入試共通テストに導入される予定だった英語民間試験の活用を延期するという発表がありました。
その5日後、その外部試験で最も受験生の多い日本英語検定協会が「今後の方針」を発表しました。
それによると、来年度の第1回検定の予約受付者は全国で約30万人。検定料の一部として3,000円をすでに徴収しています。
英検協会といたしましては、今回の荻生田文部科学大臣の発表を受けて、「S-CBT」(大学入試英語成績提供システム)に予約申込みいただいた皆様より頂戴しました検定料の一部金の3,000円をご返金申し上げる意思に相違ございません。しかしながら、英検協会も、延期の事実は、皆様と同様11月1日早朝の報道ならびに文部科学大臣の発表で始めて知るという状況でした。(中略)今後の対応を決定するには、まずは文部科学省から本件に関する詳細を伺い、皆様への返金方法や手数料等につきまして同省と協議させていただく必要があります。協議の上で確定しましたら速やかにご報告させていただきますので、今暫くお待ちいただきますようお願い申し上げます。
日本英語検定協会HPより
このように、英検協会も青天霹靂で、かなり混乱している感じでしたね。
このあと、「受験をキャンセルする場合は手数料なしで全額返金する」「予定通り受験する場合は従来型の英検よりも受験料を安くする(3級を除く)」という発表も追加でありました。
さらに問題の内容も検討し、受験会場も増やすなど、予約金を払った受験生にはなんとかキャンセルしないで受けてもらおうという対策が打ち出されています。
この点だけを取り上げてみても、今回の急な延期は現場の高校生や教師だけでなく、その周辺にも大きな影響を与えています。
そして今回の記述問題の導入延期
入試改革の2本柱のもうひとつであった国語・数学の記述問題についても、12月17日、延期が発表されました。
こちらも、たとえば問題集など、教科書以外の副教材を作っている出版社への影響は相当なものだと思います。
各学校では、来年の共通テストを見据えて、現2年生用の教材をいま選んでいます。
その選択に間に合わせようと、どの出版社もかなりの労力を払って新しい教材を作ってきたのではないでしょうか。
国語であれば実用的な文章を取り入れ、自己採点のしやすい記述問題を入れ、今までになかったものをゼロベースで作ってきたと思われます。
それもすべて無になりました。来年その教材を採用する学校はないでしょう。
「最後」のセンターのはずだった現3年生は・・・
新テストに直接は関係のない高3生も、実は少なからぬ影響がすでにあります。
システムの変更が不安なので「浪人」はできない、という空気が、進路先の決定にも影響していたのです。
具体的には、たとえば指定校推薦で、早めに進路先を決めてしまいたいということがあります。第一志望を狙って失敗するよりは、より安全な道を行こうとする心理です。
一般受験でも、現状では第一志望校の合格が厳しい生徒は、早めに受験科目を変更したり減らしたりしてします。これも安全志向のひとつです。
つまり、リスクを取らないことを優先して、自分の本当に志望する大学や学部を選ばなかった可能性があるということです。
「そんなことならやっぱり第1志望を受けたかった」という生徒がどれほどいるかは分かりませんが、少なくとも延期するならこの夏休み前には決定していなければ、と思います。
英検も申込みは9月からでしたので、7月中の決定なら、返金問題も生じませんでした。
いや、文科相の「身の丈」発言があって、急に今回の延期になったのですから、それもあり得ない仮定なのですが。
本質的な問題は何なのか?
この延期の判断を、世間的にはおおむね評価しているようです。しかし、そもそもセンター試験を廃止し、新テストにしようとした理由を分かっている人はどれほどいるのでしょうか。
本質の議論ではなく、世間では共通テストの問題ばかりがクローズアップされている気がするのですが、いかがでしょう。
「公平性やその実施方法に問題がある。そんな試験はやるべきではない。」
それが正しいとして、では現状のセンター試験のまま今後もずっといくべきだとお考えなのでしょうか?
その点について、もう少し整理してみたいと思います。
センター試験と共通テスト
突然延期になった共通テストををめぐる声は、大きく2つに分けられると思います。
ひとつは来年実施予定の共通テストそのものに問題があるというもの。
もうひとつ、センター試験を廃止する理由がよく分からないというもの。
特に後者についてはあまり認知されていない気がするので、まずはセンター試験をめぐる問題から。
センター試験の何が悪いのか?
センター試験が実施されたのは1990年からですからそれから30年。その前の共通一次が1979年に初実施ですから合わせると41年。相当に長い期間です。
ちなみに私は共通一次が始まる前年に入試を受けたので、個別入試最後の世代です。
それ以前、入試問題は大学が個々に作成していたわけですが、その問題にどうしてもバラツキ、いわゆる難問・奇問がありました。
また、国立大の一期校、二期校という区別をなくし、大学の序列化をなくそうという狙いもあったようです。
それらを解決するために共通一次が始まったのですが、ただそれは国公立大学だけのものでしたので、私立大も活用できるようにとセンター試験になっていったのです。
(参考:文部科学省HP)↓
https://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/others/detail/1318393.htm
https://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/others/detail/1318394.htm
当初は国公立大にマーク式を導入することに批判もあったようですが、今やすっかり定着しましたね。
確かに当初の狙いで行けば、センター試験に難問や奇問の類はまずありません。時間と人手をかけ、慎重に作成していることが分かる、よく練られた良問だと思います。
そしてマーク式という、採点が早く、しかも間違いがない方法は、これ以上ないほど公平、公正です。
国公立大学のほとんどは二次試験を実施し、そこで記述問題を出題していますから、それで十分ではないか、というふうに考えている人が多いようです。
ただ、この「公平・公正」ということ、「二次の記述」に関しては、もう少し考えなければいけない点があるのではないか、というのが率直な意見です。
入試改革は授業改革とセット。
そもそもこの入試改革はなぜ行われるのでしょう。
学校は「学習指導要領」に基づいてカリキュラムを組み、授業を行います。今回改訂された指導要領についてはこちら↓
https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/1383986.htm#section3
今回の改訂のポイントは、「何を学ぶか」だけでなく、「どのように学ぶか」「何ができるようになるか」ということが重視されていることです。
何ができるようになるの?(資質・能力の三つの柱)
新しい時代を生きる子供たちに必要な力を三つの柱として整理しました。「何のために学ぶのか」という学習の意義を共有しながら,授業の創意工夫や教科書等の教材の改善を引き出していけるよう,すべての教科でこの三つの柱に基づく子供たちの学びを後押しします。
文部科学省HP
その三つの柱が、
- 知識、技能
- 思考力、判断力、表現力
- 学びに向かう力、人間性
です。
そしてそれを「どのように学ぶか」というと、
「主体的、対話的で深い学び」、いわゆるアクティブラーニングです。
「知識、技能」というのが今までの授業ではほぼ中心で、生徒は出来るだけ多くの知識や解き方を詰め込むことが要求されてきました。
しかしこれからは、自らが主体的に、さまざまな人と対話・協同し、気づきと振り返りを繰り返しながら深い学びに繋げていくことが大切だと。
「正解のある問い」ではなく、「答えのない、すぐに出ない問い」、オープンエンドな問いに向かうことが必要だと。
インプットからアウトプットへ。暗記から思考へ。そのような大きな変化です。
ですから授業の方法も、先生が一方的に教える講義型から、ペアやチームでの学習が増えできました。
まだ過渡期ですから、先生たちも暗中模索ですが、とにかくすでに現場ではこのような授業改革がどんどん進んでいるのです。
これまでの大学入試に対応するために最も大事なのは「知識の伝達」でした。
でもこれからは違う、入試も変わる、だから授業も変えなければならない、というのが新指導要領の強いメッセージです。
マーク式のセンター試験のままでは暗記中心の授業がなかなか改善されない。しかし正解のある問いに対応する力だけではこれからの時代は生きていけない。
英語にしても、「聞く・読む・話す・書く」の4技能が必要という観点から外部試験が導入されるはずでした。
入試を変えなければ高校の先生たちは授業を変えない、という文科省の強い危機感が今回の改革になったのだと私は理解しています。
そこでセンターに代わる共通テストが登場するはずだったのですが…
共通テストの問題点
来年度から実施されるはずだった、大学入試共通テストの延期が発表されたのが12月17日でした。
すでに新テストの予定で動いていた現2年生の立場からすれば、 入試システムが新しくなることへの不安がなくなった、という点では安堵するところもあります。また3年生も、何が何でも今年合格しなければ、というプレッシャーが減った、という気持ちもあります。
けれど、個人的にはこの時期の発表はあまりにも遅すぎた、というより延期を残念に思っています。
確かにこの共通テストをめぐってはさまざまな問題点が指摘されていました。
ひとつは英語の外部試験導入について、「試験料が高い、裕福な家庭優遇ではないか」というもの。また「試験の日程が学校の実情にそぐわない。」「実際は特定の試験に受験生が集中してしまう」「複数の試験の点数をどうやって公平に判定するのか?」など。
もうひとつの数学・国語の記述試験については、「アルバイトが採点をするなんて許されるのか?」「採点のブレや間違いが発生する」「記述は二次試験でやればいいではないか」「自己採点がきちんとできないと出願時に困る」など。
「センター試験の問題はよくできている。変える必要があるのか?」という意見も多かったように思います。
とにかくマーク式試験は採点も早く正確。入試は絶対に公正で公平でなければならない。共通テストはその点を満たさないからダメ、ということでしょうか。
けれどそこに問題は、落とし穴はないのでしょうか。
入試はどのような力を問うものなのか
文部科学省は「新しい時代を生きる子どもたちに必要な三つの柱」として、「知識・技能」「思考力・判断力・表現力」「学びに向かう力・人間性」を設定しています。
そしてそれらは、授業のあり方を「主体的・対話的で深い学び」に変えることによって身につけさせようというものです。
そこまではよいとして、ではその力をどのように「評価」するのか。
現場では、「ルーブリック評価」「パフォーマンス評価」「ポートフォリオ評価」など、さまざまな方法が言われていますが、どれも試行錯誤の段階です。
成績ですから、やはり公平公正、客観的な評価方法でなければなりませんが、どう考えても100点満点での点数化は難しいです。
たとえば、オープンエンドな問いに対してその生徒がどのように取り組んだか、何ができるようになったか、をペーパーテストではっきり点数化できるでしょうか。
こうした困難な状況の中でも、「入試がそのように変わるのなら、生徒のために何とかそれに対応しなければ」と教師たちは考えて続けているのです。
入試改革と授業改革はセット、ですから、もし入試が今までと同じ、毛の生えた程度の変更であれば、何のためにここまで苦労して培ってきた授業スタイルを根底から変えなければならないのか、という疑問も当然噴出します。
新テストがどのようなものになるのか、変わるのか変わらないのか、それはいつになったら分かるのか、そんな不安を抱えながら教壇に立つ先生たち・・・
共通テストには問題が山積、それでも。
前述したとおり、延期されたのにはそれなりの理由があります。
荻生田文科相の発言のとおり、「採点ミス解消の難しさがある以上、安心して受験できる体制を早急に整えることは現時点では困難」ということでしょう。
私自身、試行段階の国語の記述問題を見る限り、それが「思考力・判断力・表現力」をきちんと問えるものかと言われれば疑問符がつきます。
それでも、「答えのない問い」を学ぶ必要はあります。自分の言いたいことを言葉でまとめて伝える力は必要です。
たとえ不十分であっても、授業での学びをアウトプットする入試という場面で、評価を一体化する必要はあったのではないかと思います。
誤解を恐れずに言えば、マーク式ほどの公平公正性は得られなくても、多少のブレやムラがあっても、「はじめの一歩」としての入試改革を実行する意味はあったのではないでしょうか。
この延期によってまた教育が振り回され、結局授業も元に戻ってしまう可能性もあります。
果たしてこの先、どうなっていくのでしょうか。
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