「辛いこと、苦しいことを楽しむ」

ココロ

朝ドラ「スカーレット」の喜美子のことば

先週、朝の連続テレビドラマ「スカーレット」の中にすごく印象的な喜美子の言葉がありました。

京都に旅立つ一人っ子の武志に、母親としての思いを込めて掛ける言葉です。

何でも楽しみなさい。つまらんなぁ思うたら、つまらんなぁいうことを。しんどいことがあったら、しんどいなぁ言うて、しんどいことを楽しみなさい。

「スカーレット」第109回

仕事も生活も、楽しいばかりじゃなくいろんなことがある。つまらないこともしんどいと思うことも、まるごと楽しむんだよ、と。

普通は「つまらないことがあっても楽しんで」とか、「しんどいことは忘れて楽しんで」とか言うところを、喜美子は違います。

そしてこのシーンで思い出したのが、喜美子が夫の八郎と別れてから、親友の照子に「ひとりもええなあ」と言う場面です。

それまで陶芸家の八郎を支えることが自分の人生だと考えてきたのに、穴窯に魅せられ、どうしても自分の作品を作りたい、という思いを消すことができなくなってしまった喜美子。

八郎は、作品作りのために、貯めていた武志の学費にまで手をつけようとする喜美子と離れる決心をしました。

そんな喜美子に照子は「目え、覚ませ」と言いますが、そのときに「ひとりもええなあ」とつぶやくのです。

あれほど夫婦仲のよかった八郎と別れたいわけがありません。ずっと一緒にいて、自分は夫の仕事を支えていくのだと思っていたのに、「本当に自分の作りたいものを作りたい」という気持ちが芽生えてしまったら、もうどうにも押さえられなくなってしまったのです。

喜美子のなかの八郎への思いと、作品への思い。現実と、芸術への情熱。葛藤というにはあまりに重いものを抱えたなかで、八郎が出て行ってしまった今、喜美子はあえてその孤独を引き受けます。

で、考えてみると、この「ひとりもええなあ」と武志に言う「何でも楽しみなさい」は深いところでつながっていますよね。

「八郎との別れ」という、考えもしなかった悲しい現実を、陶芸に打ち込むことで忘れようとするのではありません。

辛いこと、苦しいこと、悲しいことは、「つらいなあ、くるしいなあ、かなしいなあ」と思ってそのまま楽しむ。

自分の心に蓋をするのではなく、そう感じている自分がいるなあ、と思ってそのこと自体を楽しむ。

むりやり忘れようとしても、抑圧された心はまた次の苦しみを生んでしまう。そのことを喜美子は痛いほど分かっているのでしょう。

だから武志にも、同じように感じてほしい。現実が思うようにならなくても、そう思うことで乗り越えられる、そう告げたかったのだと思います。

ただ気づく、外側から自分を見つめる

昨日のブログ「メンタルモデル(潜在意識の価値観)とは?https://penta-3.com/2020/02/16/mental-model/」でも触れた内容ですが、自分の意に沿わない、思いがけないことが起こったとき、どう対処するかという問題とも関連しますよね。

他者、外側に責任を求めるのではなく、「自分の内側に原因があるかもしれない」と内省する。

喜美子の気持ちを理解できない八郎が悪いわけではない、自分の心に嘘をつくこともできない。

結果として八郎は出て行った。ひとりになった。寂しい、寂しくて仕方がない。でも両方は得られない。それなら今の、この寂しい現実も楽しんでしまおう。

「自分の内側」にしっかり目を向けたからこそ、そんなふうに思えたのではないでしょうか。

どうにもならない状況になったとき、「何か」をして解決しようとする(Doing)と、かえって抑圧は高まり、解決は遠のく。あくまで自分のあり方に意識を向ける(Being)。

必要なことは「ただ気づく、気づき続ける」こと。そのことと、この「スカーレット」が自分のなかで一致したのです。

苦しみのただ中にいる、他者を、自分を救うために、私たちはこのことをもっと知っておく必要があるのでしょう。

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