「シェアライフ SHARE LIFE」(石山アンジュ)を読む

シェアリング

石山アンジュ氏は、シェアリングエコノミー協会の事務局長、7月2日の「シェアリングネイバーズMeet Up!#0」では特別セッションのモデレーターでした。その際、現在取り組んでいるシェアの状況についていろいろお話を伺うことができました。

Meet Up!は本当に楽しい会で、たくさんのことを学びましたが、一方でシェアの「意義」や将来性についてもう少し知っておく必要があるな、とも感じていました。

そこで遅ればせながらですが、石山氏の著書の「シェアライフ」を読ませていただきました。

石山氏がこの本を通じて伝えたいのは、シェアというトレンドやサービスではありません。シェアの「思想」そのもの、です。それこそがこれからの未来、新しい豊かさを手に入れるために必要だと言います。

私の身の回りではほとんど広まっていないように見えるシェア的思想も、都会だけでなく地方でも始まっている、という具体例がいくつも挙げられており、勇気づけられました。

また、シェアが現状の社会問題を解決するものになる、という理由にも深く頷けました。

シェア社会実現のための法律、制度の整備が必要といった外的な問題もありますが、読んでいちばん難しいなと感じたのは、私たち自身が今までの価値観や概念を変える必要がある、ということです。

その点を踏まえて、特に印象的だったところと、私なりの思いを述べたいと思います。

目次

資本主義の限界、再び江戸スタイルへ

石山氏は、資本主義がもたらした豊かさがもはや限界に来ている理由として、「モノ」の大量消費という経済モデルがまわらなくなってしまったことと、環境問題が顕在化し、資源が有限であることを意識せざるを得なくなったことを挙げています。

そしてその中で、「人間らしさ」や「人とのつながり」を失ってしまったことが、孤独、1年に3万人もが孤独死するような現状の原因になっていると。

しかし今、組織から個人へのパワーシフトが起こり、個人が主役になりつつある。本当の「豊かさ」が、目に見える「モノ」や「カネ」でなく、目に見えないものに変わってきている。

個人主義が当たり前になった世の中だからこそ、誰かとの「つながり」を取り戻すこと。「つながり」を感じることを幸せだとする、シェアの思想が重要なのだと。

石山氏は、それをかつての日本の「長屋」文化や「結(ゆい)」という相互扶助の精神になぞらえています。

…そのことで思い出したことがありました。

もう十数年前になりますが、江戸東京博物館に行ったときのこと。ふだんなら博物館など1時間もいれば飽きてしまうのですが、気づいたら江戸時代の展示だけで3時間以上も!(^_^;

そこで改めて江戸の「リサイクル文化」を知り、その徹底ぶりに心を動かされたんですね。

考えてみれば、鎖国の時代。資源もなく、200年以上も続いた社会。経済成長率は年0.3%ほどではないかというのですから驚きです。

そもそも「モノ」がない。だからあるものを大切にするしかない。使ったものも決してムダにしない。燃料である薪を燃やした灰も、排泄物さえも肥料にする。

リサイクルに限らず、江戸の長屋ではモノコトを共有する共同体、ヒトの「つながり」が成り立っていたんです。

それに比べると、消費しなければ豊かになれず、環境問題を引き起こさずにいられない今の社会はどうなのだろう・・・そう感じていました。

「モノ」はもうそれほどいらない。「カネ」だけでは幸せになれない。それが分かってきたけれど、どうしていいか分からない、という空気のなかで、今、新しい答えが見つけられたような気がしています。

そう、シェアの思想はこの江戸スタイルなんですよね。

「つながり」が資産、価値になる。

これからは「モノ」「カネ」でなく、「つながり」が最も大きな価値になる、と石山氏は言います。

今まで、資産と言えばお金であり、社会的ステータスのような「個人」に属するものでした。

その資産を得るためには、とにかく他人に勝つことが重要。勝つための勉強、仕事が当然とされてきた社会。

だから他人を押しのけても自分は「負け組」になりたくない、という自己中心的な考えも蔓延してきました。いや、それが普通だろうとさえ思われてきた節もあります。

しかし今、老後2,000万円問題もそうですが、年金、介護etc・・・不安の要因は数え切れないくらいあって、お金や地位はすべてを解決してくれません。個人がすべての責任を負わなければいけない、という重圧の息苦しさを誰もが感じています。

そこから「シェア=つながりこそが資産と考える思想への転換は素晴らしく魅力的です。が、

果たして私たちの社会はそこにたどり着けるのか…。そのためには特に、人の内面的な課題に向き合う必要があるでしょう。

シェアは「つながり」。それが現状の問題を解決する鍵。

明日、もし地震が起こってもお米を届けてくれる人や、泊まらせてくれる家や人のつながりがあること、信頼できて気軽に頼れるコミュニティがあること…そのようなつながりを増やしていくことが、これからの時代を生きる上での重要な資産になるのだと確信しています。(第2章 新しい価値観)

生きるうえで、避けられないリスクがあります。想定外の災害もあれば、思いがけない事故に遭ったり、重い病気になってしまうこともあるでしょう。

また、少子高齢社会の日本では、介護問題や子育て問題に対して根本的な対策を打てないままです。

石山氏は、シェアがこれらの問題を解決してくれると言います。

たとえば介護に関して言えば、1人の介護士が担う役割があまりに大きく、それが介護人材の不足や疲弊を招いている。そこで身近にいる人が買い物を代行したり、話し相手になる。必要なケアをみんなで分担することで、資格を持つ人の負担を減らすことにもなり、利用者のニーズにももっと応えられるようになると。

子育てについても、すでにさまざまなサービスや取り組みが始まっている。保育所不足を補う個人間での子育てシェアを、プラットフォームやシェアハウスを利用して行うなど、新しいコミュニティやネットワークがどんどん生まれている。

シニア層の問題も、シェアで解決できる。一つはコミュニティやつながりの再生、もう一つはシニアも生きがいの感じられる仕事や活動の機会を創出できることによって。

今や日本政府もシェアを重点施策とし、地方でのさまざまな取り組みも始まっている。

さらに、たとえば家を持たない暮らしがある。会社に行かない働き方がある。互いに教え学び合う、新しい学びの形がある。世界中どこに行っても友達がいる旅ができる。

リスクに備えることも、誰もが自由に、楽しく、生きがいをもてるような暮らし方も、シェアが生み出してくれる。石山氏の言葉が希望を与えてくれます。

信頼観・家族観を変える必要

シェアは今の社会を変え、未来を変える希望。ただ最大の障害はやはり既成の価値観をどう変えていくか、でしょう。長年培われてきた資本主義的、個人主義的な思考から抜け出すことはそう簡単ではないとも思います。

しかし、最後まで読んでいくと、それも乗り越えられるのではと思えてきます。

石山氏が暮らしているCiftには、2歳の男の子を持つママもいます。彼女は、こう言っていたそうです。

「子育てにおける安心・安全の追求には、どこまで行っても終わりがない。だからこそ、コミュニティの中で子育てをするには、『子どもを死なせない』というレベルまで自分の中のハードルを下げて、意志を持って人を信頼して、任せることが必要だと思う。コミュニティの人たちを信じて、『それぞれが子どもにとっていいと思えることをしてくれたら』という気持ちで、任せている」

今までの「家族」も、形を変えていく。子どもは血縁関係や家庭の中で育てるもの、という発想から、「社会の中で育てる」という発想への転換です。

これだけの覚悟を持つことは簡単ではないでしょう。本の最後に書かれている「信頼」の考え方を心に留めない限りは。

私たちそれぞれが、自分自身の中にある「信頼」の意味を再定義し、「どうしたら信頼できるのか?」「どうしたら信頼されるのか?」を追求しながら、他者を受け入れ、他者から受け入れられる範囲を広げていくこと。「テクノロジーに頼る部分と、それには頼らずに、人としての良心のもと、自己を変容・拡張させ続ける意志を持つこと。これが大切なのです。(第5章 シェアするマインド)

「自己の変容・拡張」への意志。自分自身が今までの既成概念を壊し、価値観を変えていかなければシェアの未来も見えません。

そして、「ルールは誰でも作れる、変えられる」と。であれば、今はまだ浸透していないシェアの思想を、自分が旗振り役になって進めることもできるでしょう。

始める勇気と、あきらめない思いが、「新しい社会の新しい生き方」にきっとつながっていきますね^ ^

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