「僕たち大人は、どうやったら子どもたちを守れるんですか?」
今朝起きた川崎の通り魔事件で、保護者の方がテレビのインタビューでこう言っていました。
本当に、被害に遭われた方々にかける言葉がみつかりません。
このところ起きていた悲しい事件や事故もそうですが、まさに今私たちに、社会に何ができるのか、まったく見えないことに憤りと絶望を感じてしまいます。
そしてここでも、テレビやネット上でさまざまな報道がされ、声が挙がっています。被疑者やその家族に対するもの、学校に対するもの…
でも、それは今ここで報道したり声を挙げるべき内容なのでしょうか。
何か事件が起こるたび、いつも思うのですが、なぜ被害に遭われた方々が最優先の報道や議論にならないのでしょうか?
「それを知ることで、事件を防ぐ対策を考えることにつながる。」ということであるとしても、まず優先すべきは被害を受けた方々なのですから。
報道の緊急性ということではなく、センセーショナルであることを重点に置いたようなあり方や無責任な発言には疑問を禁じ得ません。
もし、自分に、身の回りにこのようなことが起こってしまったら…考えたくもありませんが、おそらく第三者の介入を冷静に受け止められないと思います。
むやみな報道やネット上の配慮のない発言によって、被害を受けた方やご家族が二次被害を受けないよう、切に願います。
内田樹氏「ネット上の発言の劣化について」
http://blog.tatsuru.com/2011/08/01_1108.html
これはマスコミというよりネット上の発言に対する意見ですが、メディアもある意味では匿名性の殻に守られて報道しているのではないでしょうか。
理不尽な不幸を完全に共有することはできません。そのことを前提にしつつ、我々自身が報道に向き合う姿勢、考え続ける態度が必要だと思います。
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