「無常という事」(小林秀雄)を読む

日々のこと

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「無常」とは

1時間の授業が終わるたびに、生徒は必ずワークシート、別名「振り返りシート」を書いて提出するということになっています。

「記憶と思い出すの違い」をやった後も同じように出してもらいました。

教科書本文の内容というか、その概念がなかなか浮かばない生徒たちですが、DaiGoの文章を紹介した成果もあってか?とりあえず「思い出す」ことが大事というのはなんとなく理解したようです。

しかし最後の「無常」と「常なるもの」についてはやはり悪戦苦闘。結局このふたつを同じものだと混同する生徒も何人か。

教員同士で、「これは分からないということが分かるって体験をさせればいいんだよね」と慰め合う状態です。

それはその通りだと思いながら、やはり教える立場の性で、モヤモヤしている生徒をほっとけません(^◇^;)

ということで、ちょっとしつこいかと思いながら、最後にこんな↓プリントを配りました。


①「美しさ」について

筆者は「常なるもの」が美しいと言っています。それは「なま女房の声や生き方」のように、もはや変わりようもないもの、それを「上手に思い出す」ことで実感できるということですね。思い出さないで記憶にとどめているだけでは、美しさを感じることはできないと。

では「無常」なもの、私たち生きた人間は美しくないのか?

2組のHさんはワークシートに、「変わっていくからこそ美しく尊いものもあるし、変わってしまうからこそ、不変であるものがより輝くのではないかと思った。」と書いてくれました。そう、私たちは「(美しい)人間になりつつある一種の動物」とあるように、やがてたどり着く美しさへの途上にいるということなのでしょうか。

だからこの世が、人間が、「無常」であることを認識しつつ、もがきながらもしっかり生きていくしかないのでしょう。

5組のYさんは、「自分の経験や思い出が美しく誇れるものになるように、今を生きて変化し続ける。」とTO DOに書いてくれました。まさに!

②「歴史」について

筆者が生きていた時代も今も、歴史を自分の都合のいいように「解釈」する言動は多くあります。鎌倉時代の始まりの年号が変わったとか、そういうことにではなく、「歴史」にあらわれる人間の営みを勝手に想像したり解釈することに対する嫌悪感を表しているのではないでしょうか。「歴史」=「解釈を許さない動じないもの」と断言していますが、筆者の主眼は、そういう人々に対する批判というか忠告にありそうです。それは「美しくない」と。

③「人間」について

「死んだ人間は美しい」なら、「生きている人間は美しくないのか?」という疑問への答えは先ほど書いたとおりです。逆に、「どんな悪事を働いた人間も死ねば美しいのか?」という疑問もあるでしょう。書いてはありませんが、筆者がそういうことを言いたかったかどうかは考えてみてください。

どんな人間にも生きていた時間の歴史、ドラマがあるということだけは意識しておきたいです。

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