土曜日はFAJ(日本ファシリテーション協会)の定例会へ。
https://www.faj.or.jp/base/tokyo/event/20190928-2/
4つのテーマの中で、『将棋で考えるファシリテーション 〜ファシリテーターの次の一手!あなたは何を指しますか?〜』 というのを選びました。
そもそも将棋とファシリテーションがどう繋がるのか、ちょっと想像できなかったので、好奇心から選んでみたのですが。
まだ定例会2回目の参加にしては、少し挑戦し過ぎだとあとから思いました。
この定例会、確かにファシリテーションの調査研究が目的なので、さまざまな実験的なテーマが設定されるようです。
それにしてもこんなにぶっ飛んだのはあんまりないとベテランの参加者も言うほどで、終了後の懇親会でも、なんでこれ選んだの?と言われるほどでした。
実際、6つほどのワークがありましたが、最初の3つくらいは何をどう考えればいいのか、頭の中が⁇
たとえば「将棋の中盤,終盤をファシリテーションで考える」というワーク。
将棋の中盤、終盤の局面についてメインファシリテーターのSさんから簡単な説明があったあと、「さて、これをファシリテーションの場面に当てはめたとき、どういうことを考えますか?」という問い。
ん?
将棋の知識は多少はありますが、知ってるのは矢倉とか居飛車振り飛車とか戦法の名前くらいで、どこから中盤で終盤だとかはほぼ分かりません。
さらにファシリテーションの流れ、局面?もまだ感覚がつかめていないので、その2つを繋ぐというのも雲をつかむような感じ。
グループの4人で発表しあっても、「こういうことなのかな?」と半信半疑状態で進んでいきます。
ワークも終わりに近づき、羽生善治氏の「大局観」の話題になりました。
そこで初めて知ったのは、「大局観」とはどちらかというと将棋の終盤で重要ななものらしいです。
どちらかというと研究が進んで最善手が見えている序盤ではロジックで手を指し、だんだん局面がごちゃごちゃしてくる中盤以降は感覚的になっていくと。
盤面全体がひとつの絵として見えるということでしょうか。
何手も先を読むより、つぎの最善の一手。
「木を見て森を見ず」ではなく、木を見続けてきたからこそ森の全体像が見えてきて、何をすべきかが感覚として分かる。
…というような?
何となくわかった感じもありつつ、モヤモヤ感はやっぱりあって、でもそれがまた心地よくて。
懇親会でそんな話をSさんにすると、「最後にそうなるように考えてました」とのこと。
いや、将棋もファシリテーションも、やっぱり場数や経験値が必要ですね。まだまだ修行が足りません…
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