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持続可能な開発目標(SDGs)とは
持続可能な開発目標(SDGs)とは,2001年に策定されたミレニアム開発目標 (MDGs)の後継として,2015年9月の国連サミットで採択された「持続可能な開発のための2030アジェンダ」にて記載された2016年から2030年までの国際目標です。持続可能な世界を実現するための17のゴール・169のターゲットから構成され,地球上の誰一人として取り残さない(leave no one behind)ことを誓っています。SDGsは発展途上国のみならず,先進国自身が取り組むユニバーサル(普遍的)なものであり,日本としても積極的に取り組んでいます。
https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/sdgs/about/index.html 外務省HPより
もうひとつ、このSDGsに関連した「Society5.0」という考え方があります。
Society 5.0とは
サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立する、人間中心の社会(Society)
狩猟社会(Society 1.0)、農耕社会(Society 2.0)、工業社会(Society 3.0)、情報社会(Society 4.0)に続く、新たな社会を指すもので、第5期科学技術基本計画において我が国が目指すべき未来社会の姿として初めて提唱されました。
https://www8.cao.go.jp/cstp/society5_0/index.html 内閣府HPより
これからの社会は、まだ人類が経験したことない仮想と現実の融合した社会である、そして「経済発展と社会的課題の解決を両立する、人間中心の社会」であると。
確かに、インターネットやスマホが日常のものになってからの世の中、生き方の変化は急激です。今までの価値観が通用しないほどの変化といってもいいでしょう。
そのなかで、私たちの60歳を越えた年代の生き方はどうなっていくのでしょうか。
今まで培ってきたスキルや価値観にこだわっていくのか、それともその流れに入っていこうとするのか…
答えはチャレンジしかない
11月、「SDGs de 地方創生カードゲーム」の公認ファシリテーターとなりました。今年の2月には「2030SDGsカードゲーム」の公認資格も取る予定です。
「SDGs de 地方創生カードゲーム」 についてはこちら↓
「2030SDGsカードゲーム」 についてはこちら↓
資格の取得には大きな金額もかかるし、講習に参加する時間も、また交通費や宿泊費も必要です。
それでもこのSDGsに自分がなぜこだわっているのか、考えてみました。
- 経済発展と社会的課題の解決を両立する、という目標
- 「持続可能」というキーワード
- 全世界が取り組みへの意志を示している
- 「バックキャスティング」(現状からの積み上げ、現状の延長線上にある「できること」を考えるのではなく〈=フォアキャスティング〉、理想の姿を描き、そこから「どうすればできるか」を考える)という思考
こうしたことに共感したんだと思います。
そしてそのことを実感できたのが、SDGsカードゲームの体験を通してでした。(以前のブログhttps://penta-3.com/2019/09/09/sdgs-card-game/ )
まだ日本ではSDGsの認知度が低いです。特に大事な未来世代の中高校生にも、です。
このカードゲームは、SDGsを知り、そこから自分ができることを考え、行動につなげる入口になる!そう感じました。
公認ファシリテーターになったからと言って、SDGsを広められるか分かりません。そういう機会がどれだけ持てるかさえ未知数です。
それでも、現状維持では何も変わりません。
「U理論」でいうところの、「大きなSの自己(Self)」「大きなWの成すべきこと(Work)」、そこに向かっているという感覚、それを大事にしたいと思います。
経済発展と社会的課題の解決を両立する
SDGsと言うと、メインは「環境問題の解決」というイメージがなんとなくあるようです。
しかし、Development=開発という言葉の通り、環境も社会も改善する経済活動を目指すもので、従来の環境活動とは方向づけが違います。
「京都議定書」や最近の「パリ協定」のように、環境だけを解決しようとしても、それぞれの思惑があってなかなか進みませんよね。
それに対して、国連加盟全193か国の総意で採択されたSDGsの意味は大きいと思います。
また今までのMDGsが経済発展の遅れた国に対しての目標だったのに対し、SDGsは先進国も含んだものになっています。
たとえ自国や自企業の利潤追求のためにSDGsを活用しようとする向きがあったとしても、全世界が共通の目標を持てる、とても稀有なことですよね。
亡くなった妻への思いも
突然ですが、7年前に亡くなった妻の話です。
彼女は環境問題や社会問題に一生懸命取り組んでいました。
子どもたちに出来るだけ自然なものを食べさせたいと、食材も調味料も、また食器や洗剤までこだわっていました。
家事や仕事、趣味に加えて、原発やリニアの反対活動なども。寝る間を惜しんで取り組んでいたのを思い出します。
でも、それに対してどこか傍観していた自分がいることは否めません。
自分自身、環境問題などへの関心は十分ありましたし、妻の姿勢にも理解はしているつもりでした。
けれど、同じようには動けません。もし私があのときの妻と同じように行動していたら、おそらく十分に仕事も出来ず、家族5人の生活も成り立たなかったでしょう。
総論としては賛成でも、その方法論に賛同できなかったのは、妻の行動がまさに「持続可能でない」活動だと感じていたからでしょう。
でも、その妻がいなくなって、子どもたちも成人して、自分の仕事も一区切りになりました。
SDGsに取り組むことは、もしかしたら生前そうやって生きてきた妻への思いもあるのかもしれません。
わずか51年の生涯で、彼女が道半ばで終えたことを少しでも引き継げれば、という思いでしょうか。
いや、罪滅ぼしと言ったほうがいいのかも。
形は違えど。
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