2020、最後のセンター試験について

教育

1990年から30年以上続いてきた「大学入試センター試験」、いよいよ最後の年となりました。

来年度からの「共通テスト」と関連した出題傾向になるのかどうか、それがいちばんの関心事でしたが、とりあえず大きな変動はなかったように思います。

「国語」の漢文分野ではめずらしく「漢詩」が出題され、そこに描かれている情景の絵を選べ、という今までにない問題がありましたが、それ以外は特に目新しいものもありませんでした。

センター試験の問題は2年間かけて作られるそうですから、今回の記述問題をめぐる騒動とは関係なく、作問の方向性は決まっていたのだと思います。

センターの問題は良問、という評価が立つのも、それだけ長い期間をかけて、複数の作問者が練りに練っているということですよね。

しかも各予備校の予想平均点をみるとおおむね120点。このままいくと昨年度に引き続き、満点の6割の平均点という見事な作問です。

これだけよくできた問題を変える必要があるのか?というのが世間一般の声ですが…

目次

新「共通テスト」との違い

来年度から導入されるはずだった国語・数学の記述式問題や、英語の外部試験導入が延期となった今、来年度からの「新テスト」がどのようなものになるのかは未知数です。

そうなると現行のマーク式出題形式も大きく変わることはない、だから現場でも、「このままセンター試験をやればいいよね」という声が根強くあります。

目玉の改革だったはずの記述試験も英語外部試験もなくなったのだから、変える必要はないということなのですが、問題はそう簡単ではないと思います。

文部科学省は、今回の大学入試改革について三つの柱をあげています。以下、文科省のHPから。

1.高大接続改革とは?

 グローバル化の進展や人工知能技術をはじめとする技術革新などに伴い、社会構造も急速に、かつ大きく変革しており、予見の困難な時代の中で新たな価値を創造していく力を育てることが必要です。

 このためには、『学力の3要素』(1.知識・技能、2.思考力・判断力・表現力、3.主体性を持って多様な人々と 協働して学ぶ態度)を育成・評価することが重要であり、「高等学校教育」と、「大学教育」、そして両者を接続する「大学入学者選抜」を一体的に改革し、それぞれの在り方を転換していく必要があります。   

2.なぜ記述式問題を導入するの?

 記述式問題の導入により、解答を選択肢の中から選ぶだけではなく、自らの力で考えをまとめたり、相手が理解できるよう根拠に基づいて論述したりする思考力・判断力・表現力を評価することができます。

 また、共通テストに記述式問題を導入することにより、高等学校に対し、「主体的・対話的で深い学び」に向けた授業改善を促していく大きなメッセージとなります。大学においても、思考力・判断力・表現力を前提とした質の高い教育が期待されます。

 併せて、各大学の個別選抜において、それぞれの大学の特色に応じた記述式問題を課すことにより、一層高い効果が期待されます。

3.なぜ英語4技能評価に資格・検定試験を活用するの?

 グローバル化が急速に進展する中、英語によるコミュニケーション能力の向上が課題となっています。

 現行の高等学校学習指導要領では、「聞く」「読む」「話す」「書く」の4技能をバランスよく育成することとされており、次期学習指導要領においても、こうした4技能を総合的に扱う科目や英語による発信能力が高まる科目の設定などの取組が求められています。

 大学入学者選抜においても、英語4技能を適切に評価する必要があり、共通テストの枠組みにおいて、現に民間事業者等により広く実施され、一定の評価が定着している資格・検定試験を活用し英語4技能評価を推進することが有効と考えられます。

このうち、2と3は今回見送られましたが、柱の1「高大接続」の意図は当然ながら残っているのです。

『学力の3要素』として挙げている「1.知識・技能、2.思考力・判断力・表現力、3.主体性を持って多様な人々と協働して学ぶ態度」のうち、今までの学校では「知識・技能」しか教えてこなかった。それではグローバル化やAIをはじめとする技術革新に伴って大きく変化している社会構造や、予見の困難な時代を生きていくことはできない。

そういう危機感から今回の改革はあるのだと。

そしてすでに2年間、現在の高2生に対して行われた「試行テスト」があり、これが来年度からの「共通テスト」の原型となるはずなのですが、その内容はセンター試験とはかなり違います。

それをすべて反故にして元に戻すのでは、これまで文科省が述べてきたことと完全に矛盾してしまいます。

ですから、完全にセンター試験に戻る、ということはないと思います。ただ、それがどのようなものになるのか、来年の受験を控えている高校2年生にしてみれば気が気ではありません。

たとえば国語の試験時間は予定通り80分から100分になるのか、「実用的な文章」は出題されるのか、マーク式問題は複数選択になるのか…

平成25年10月、教育再生実行会議から発表された「高等学校教育と大学教育との接続・ 大学入学者選抜の在り方について(第四次提言)」の内容を見てみます。

 急速に進展したグローバル化の大競争の中、世界を舞台に挑戦する主体性と創造性、豊かな人間性を持った多様な人材が必要。

 また少子・高齢化の進展に対しても、イノベーションの創出とともに人材の質を高めていく必要がある。

そのためには教育の在り方が決定的に重要で、若者の能力を最大限に伸ばして いくことが不可欠。

 夢を持ち、それを強い志に高め、実現に導く情熱や力、社会に貢献し責任を果たす規範意識や使命感。

 幅広い教養と日本人としてのアイデンティティ、語学力や交渉力、多様な人と協働する力を含めたコミュニケーション能力、課題発見・探究・解決能力、リーダーシップ、優しさや思いやりといった豊かな感性。

 このような力は、義務教育の基礎の上に、高等学校、大学の段階で伸ばしていくもの。だが、その間をつなぐ大学入学者選抜が、高等学校や大学の教育に大きな影響を与え ている。

 すなわち、知識偏重の1点刻みの大学入試や、事実上学力不問の選抜になっている一部の推薦・AO入試により、大学での学びに必要な教養や知識等が身に付いているかどうかを確認する機能が十分発揮されていない。

よって、ⅰ)大学入試に合格することが目的化し、高等学校段階で本来養うべき多面的・総合的な力の育成が軽視されている、ⅱ)大学入学者選抜で実際に評価している能力と本来大学が測りたいと考えている能力との間にギャップが生じ、学生にとっても大学入学後の学びにつながっていない。

 このため、大学入試の仕組みのみではなく、高等学校教育、大学教育、大学入学者選抜の在り方について、一体的な改革を行う必要がある。

ここに書かれていることが、センター試験を廃止し、共通テストを実施する理由ということになります。

さらに簡単に言えば、「急速に変化する社会の中で、必要な人材が今のままでは育たない。大学入試を変え、それを通して高校と大学の学びを改革する必要がある」ということでしょうか。

問題は、大学に合格することだけが目的となっていること。そして合格には多様な力ではなく、ひたすら知識を詰め込むことが最重要になっていること。その現状です。

その現状を変えるためには入試を変えないとダメだろう、という流れだと思います。

つまり、入試改革は目的ではなく手段であるということですね。

ですから、公平・公正性の面でも、問題としても良質な今のセンター試験が悪いから変える、ということではないでしょう。

そのメリットを捨ててでも、高校と大学の教育内容、質を変えなければならない、という強い意志の表れだと考えています。

もちろん共通テストには、指摘されているような問題点が多々あって、受験生や教員、保護者の不安を払拭できなかったことは事実です。

中途半端な改革の感も否めず、センター試験をなくしたからと言って、そのような学びにつながるのか、という疑問も当然あるでしょう。

ただ、だから「問題がないから変えなくてよい」というのは少し違う気がするのです。

センター試験31年の歴史と蓄積

AERA 2020年1月27日号にこのような記事↓が掲載されました。

https://dot.asahi.com/aera/2020012100055.html?page=1

2015年から18年3月まで、その試験問題作成を統括する試験・研究統括官を務めた大塚雄作・前大学入試センター副所長のコメントを抜粋します。

(センター試験の)マークシートもまるっきり機械任せでなく、ゼロに近づける努力がなされています。受験生が塗るマークの濃淡や消し方によって、機械で十分に読み取れなかったり、ダブルマークと判定されたりするケースがあります。このため必ず2度読みをし、2度の結果が合わない場合は職員が目で確認をします。0.1%くらいの率ですが、それでも50万人規模となると数千枚単位の作業になります。

英語のリスニング試験で2回読みしてきたのも、日常の雑音で聞き取れないケースに備えた配慮もあってのことです。さらに追・再試験のほか、大雪や地震などの災害や、試験問題を運ぶトラックの事故による問題の漏洩といった緊急事態に備え、予備の試験問題一式も用意してきました。コストと労力がかかりますが、リスクマネジメントとしてやってきています。

約50万人の受験生は多様で、配慮の必要な受験生への対応もさまざまです。点字問題を作成したり、別室で問題を読み上げたり、マークのできない生徒は解答欄へのチェックを職員がマークし直したり、きめ細かく対応しています。

「公平・公正」をこれほど徹底してきたのは、だれもが持てる実力を等しく発揮できる環境を守り、チャンスの道が開かれることを大事に考えてきたからです。AERA 2020年1月27日号

センター試験が評価されるのも、こうした裏での努力があってこそでしょう。問題の質も2年かけて検討することで担保し、公平で公正な試験という点では他に勝るものはないと思います。

しかし記事の最後で、大塚氏はこう述べています。

センター試験が31年続いたのは個々の受験生に緻密に真摯に対応してきたからではないかと思います。しかしそれは民間の市場原理とは相いれない部分もあり、積み上げてきた資産の検証は、今後の入試のあり方を考えていくうえで重要です。その検証を踏まえた最善の試験が提供されていくことを願っています。AERA 2020年1月27日号

教育という観点からみればこれ以上ないほどのものとなっているが、「民間の市場原理とは相いれない」という点です。

ここで言う「民間」とはどのようなものを指すのかははっきりしません。

受験産業のことなのか、日本社会のことなのか、もっとグローバルな問題なのか、いずれにしても、現状のセンター試験がはらんでいる問題点を指摘されています。

ではセンター試験が蓄積してきたノウハウを生かした、「最善の」試験とはどのようなものなのでしょうか。

その手掛かりとして、池上彰氏と佐藤優氏の発言を見ていきたいと思います。

「教育激変」(池上彰・佐藤優)を読む

ジャーナリスト池上彰氏と、作家・元外務省主任分析官の佐藤優氏の対談形式になっていますが、その中から。

池上 今度の大学入試改革には、特に高校や中学の教育の現場に対するメッセージが込められていることを、しっかり認識すべきだと思うのです。

 戦後日本は、何とか先進国に追い付こうという国家戦略の下に教育制度も整備して、見事な成果を上げました。しかし、ポストモダンの世の中になり、それを生き抜くために求められる能力は、以前とは違うのだということに、高等教育の関係者もようやく気がついたわけです。それを現場の先生たちに伝えて、教育の中身を変えていきたいのだけれど、なかなかうまく伝わらない。そこで実行したのが、入試問題自体を変えることでした。それを通じて、現場に「いま必要な学力、教育とはなんなのか」を、あらためて考えてもらおうとしている。

(中略)メッセージを出す側は、怯まずその姿勢を貫徹してほしい。受ける側も、それを真摯に受け止め、やるべきことを考えてもらいたい。私はそう思います。「教育激変」中公新書ラクレ

この池上氏の言葉を、自分ごととして受け止め、実行しようとしている現場の先生たちも数多くいます。

ただ、あまりに多忙な日々に追われ、それを「余計なこと」としか考えられなくなっている空気もあります。

「入試を変えるから、授業のあり方も変えなさい」と言われても、生徒の進路を保障するという意味で、受験のための教育は至上命題だったのですから。

理念はよいとして、現実問題としてはどうも…ということです。

「主体的・対話的で深い学び」、いわゆる「アクティブラーニング」についてはこのように述べられています。

池上 従来のような教科書を読み板書して質問を受け付けて、というスタイルを変えるのには、教える側にも相当高い適応能力が求められるのは確か。制度改革はスタートしていますけれど、そのへんの現場の対応は、正直、緒に就いたばかりという感じがします。明日からすべての先生が実践できるほど簡単なものではない、という現実はみておく必要があるでしょう。

佐藤 そこは新テスト同様、まず走り出してみるということではないでしょうか。現場の先生や生徒たちには酷な言い方に聞こえるかもしれないけれど、ある程度の期間、試行錯誤は避けられないと思うのですよ。これだけ大きく、いろいろなことを変えようとしているのですから。

池上 変革は必要です。自分の頭で考えて自分の意見を述べる。少なくともそういうプレゼンテーション能力、ディベート能力がないと、これからの国際社会ではやっていけません。そういう力が、今までの学校教育ではなかなか身につけられないのは、明白な事実ですから。「教育激変」中公新書ラクレ

待ったなしの「教育改革」の一環として、入試改革も授業改革もあるという点を共通認識するところから始める必要があります。

「公平・公正で質の高い」センター試験を敢えて変えるのには理由がある。

実態を知らずにただ批判するだけでは物事は進まない。

入試形態として「比較」して優劣を考える、という問題でもない。

大きな目的を達成するためにどうすべきをみんなで考えていくことが重要。

最初からすべて完璧なものを目指すのではなく、まず走り出してから考えよう。

そんなふうに思います。

最優先すべきは何なのか

「教育激変」のなかで、大学入試センター理事長の山本廣基氏が「センター試験イコール大学入試だと思っている人が、世の中にはたくさんいる」と述べています。

インプット型の受験方式しかない、という思い込みが、本来の多様な学びを妨げているという面もあるでしょう。

55万人の受験生全員を対象にした試験を考えるならば、センター試験以上に公平・公正な試験は考えにくいです。

そうなると、共通一次試験以前のように、すべて各大学の個別試験にもどし、その中で多様な選抜方法(選抜しないという方法も含めて)を実施するしかないのではないでしょうか。

しかし、果たしてそれで大学が対応できるのかどうか。

佐藤氏は「よくできたセンター試験」に甘えてきた大学も数多くある。私立にとっては「麻薬」の要素もある、と述べています。

それに慣れてしまって大学側が作問・採点の労を惜しんだり、難問・奇問しか出せない、などということになれば、その大学の評価は低下するしかありません。

一方、高校も予備校も、一律な受験対応ができなくなります。

本当に「いま必要な学力、教育」とは何なのか、それを考えて実行できる力がどれだけの教師・学校にあるでしょうか。

やはり、「走り出してから考える」道しかないような気がしてきます。

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