襖ー「K」と「私」を隔てるもの
問い7 「K」が「私」の部屋の襖を開けたのはどんな理由からだろうか。
(以下、授業の最後に配ったプリントの内容です。これが「正解」というわけではなく、ひとつの読みとして提示しました。)
この問いも含めて、小説の読みに明確な「正解」があるわけではありません。作者夏目漱石も、「K」の心理については謎を残したまま物語を終えています。
親友で誰よりもKを理解していたはずの「私」も「K」が死んでいる以上、その思いを推測するしかないわけです。
しかし、この小説が人間の「こころ」の不思議さや弱さ、不確かさというものを描いているとすれば、それは今を生きるわたしたちにとっても共通のものであるはずです。
自己と他者の「こころ」について真正面から考えてみること、それがこの物語を読む意義だと思います。以下は私なりの考えをまとめたものですが、そうした点をふまえて、自分の読み方と照らし合わせてみてください。
Kはすでに死の覚悟を決めていた。遺書も書いていたのかもしれない。だが、本当に自殺するまでには至らなかった。
果断に富んだKの性格からすれば、決めたことはすぐに実行するというのが常であったろうが、やはり「死」という完璧に不可逆的なものを決行することに躊躇があったものと思われる。(その優柔な自身の態度そのものが彼にとっては許し難いものだったろう)
自分のこころと、日頃の言行との不一致という悩みを、今までのように自分一人では解決できなくなったKは、とうとう「私」に助けを求める。図書館での行動は、その最初だっただろう。だが、その時お嬢さんを取られまいと必死だった私は、Kのそうしたこころに気づくことなく、「精神的に向上心のないものはばかだ」と言い放つ。
「この間の晩」と同じく、Kは自分と「私」との部屋の襖を開けて、「私」に呼びかけようとした。自分の悩みについての相談など、はっきりした目的があったわけではない。ただ一人でいることが無性に寂しかっただけなのだ。
襖とは、Kと「私」を仕切る隔たりの象徴であり、それまでその隔たりを解こうと努力していた「私」であったが、この場面では逆にKが開こうとしていたこころの動きを、「私」が気づかなかった、ということではないだろうか。
そして「この間の晩」と違い、そこに寝ていたのはすでにお嬢さんとの婚約を決め、そのことを自分にひと言も告げなかった「私」である。そこにいるのは、Kを本当に理解してくれようとしていた「私」なのか?
Kはそれでも声をかけたかもしれないが、私は目を覚まさなかった。このとき、Kは自分がこの世でたった一人の、孤独な存在であることに耐えきれなくなったのではないだろうか。
『Kが私のようにたった一人で淋しくって仕方がなくなった結果、急に所決したのではなかろうかと疑い出しました。』とあるように、深い孤独、絶望がKのこころを覆い尽くしてしまったのではないだろうか。
独力で精進し、道を進むことを信条としてきたKは、それが故にすでに孤独であり、かつ恋愛によってその生きるよすがさえ揺らいでしまっていた。何のために生きているのか懐疑的になっていたKに、私の言葉、行動はあまりにも痛烈だったろう。
私以外によりどころのいないKが、この深い絶望を感じたとしても不思議ではない。「もっと早く死ぬべきだのになぜ今まで生きていたのだろう」と墨の余りで書き添えたのはまさにこのときではなかっただろうか。彼の本当の「こころ」はまさにこの一文に集約されているのではないだろうか。
襖は、今度は閉められなかった。私とのこころのつながりを最後までKは感じていたかったのか。迷惑をかけるとわかっていながら、この部屋で死を選んだのもそういうことだったのだろうか。
(もうひとつ、Kは「私」もお嬢さんを好きだったということに、奥さんからの話で初めて気づいた。つまり、自分のことだけで苦しんでいて、「私」のこころに少しも寄り添えていなかった自分という存在に改めて気づかされた。そのこともいっそう彼の孤独を強めたのかもしれない。)
※このあと、オープンエンドの問いについても生徒と一緒に考えました。
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https://penta-3.com/2020/02/26/soseki-kokoro5/3/
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