「K」のこころに寄り添う
問い:Kが最後の手紙にお嬢さんの名前を書かなかったのはなぜだろうか。
「すぐKがわざと回避したのだということに気がつきました。」とあるように、「私」は、恋愛という、自分の道に反してしまったことを知られたくない、というKの自尊心がお嬢さんの名前を回避させたと考えたのだろう。少なくとも手紙を見た瞬間は、そう感じたのではなかろうか。
ただ、Kが書かなかった理由はやはりわからない。そもそもお嬢さんとは、Kにとってどのような存在なのか?
女性という存在そのものがKの修行には関わるはずのないものであり、お嬢さんもその例外ではない。しかしその信念を超え、初めて異性として意識し、好意を持ってしまった。Kにしてみれば、どのようにもとらえがたい存在である。
もし手紙にお嬢さんへの気持ちを書けば信条を裏切ることになり、当たり障りのないことしか書かなければ自分の気持ちに嘘をつくことになる。
書かなかった、のではなく、「書けなかった」というのが本当ではないだろうか。(自分の死後、お嬢さんや「私」に迷惑をかけてはいけないという配慮から書かなかった、という考え方もあるが?)
そう考えると、「進むべきか退くべきかそれに迷うのだ」というKの言葉は、「お嬢さんに進んでいく」ことへの迷いではなく、「すべての恋愛を禁ずる自分の道を今までどおり進んでいく」ことへの迷いではなかったか。道を志しながらも恋をしてしまった自分を認め、許すことができるかどうかの悩み。そのように問題を捉え直し、私がそのように受け止めていたならば、「精神的に向上心のないものはばかだ」と言い放ったかどうか。
この言葉によって、Kは自分の弱さを改めて認識せざるを得ず、道か恋かという二者択一のループに再び入り込み、どちらも選べない自分を許せなくなってしまう。
問い:「もっと早く死ぬべきだのになぜ今まで生きていたのだろう。」という言葉から、Kが自殺を考えたのはいつ頃からと考えられるだろうか。
死の覚悟を決めていたのがいつからなのかはわからない。だが少なくとも「覚悟」という言葉を発した時点ではそう考えていたと考えられる。その意味ではお嬢さんへの失恋や私の裏切りが原因、と簡単に言うことはできないだろう。
養家や生家から縁を切られ、自分の生活が立ちゆかなくなってからのKは、「道」「精進」という自分の理想が思い通りにいかないことにずっと苦しんでいた。そのことから神経衰弱にもなった。
「私」の援助があって、お嬢さんや奥さんと交際するようになって救われた一面はあるものの、お嬢さんへの恋という、理想に反する事態になってしまい、自分の生き方に対する苦悩はさらに増したとも言える。(その意味ではお嬢さんとKを引き合わせた私の罪とも言えるが)
精神的に苦しむ自分と、過去の「強い自分」とのギャップもあっただろう。そうしたことすべてが彼を死ぬ方向へと追い込んだのではないだろうか。
そして前述したとおり、誰よりも信頼する私に、「精神的に向上心のないものはばかだ」という言葉をかけられ、私とお嬢さんの婚約が自分の知らないところで進んでいたことなど、Kの孤独をいっそう強める出来事が起こった。
問い:Kの自殺の本当の原因はなんだろうか、考えてみよう。
前書きで書いたとおり、本当のところは「わからない」と言うしかない。ただ、前述のようなとらえ方をすれば、Kの性格や考え方とか、失恋や友の裏切り、という単純な割り切り方はできない。
私たちはすべからく複合的に生きているのであって、1人の人間をある種の要素に分解などできないだろう。それはKについても同様である。
何より痛切なのは、Kを助け、Kのこころを一生懸命開こうとしていた「私」が、Kを孤独から救うどころか、結果的にそれをさらに深いものにしてしまった、ということではないだろうか。
そしてそれは同時に、叔父に裏切られ、自分こそは良心的に生きたいと考えていた「私」が利己心からそのような行動をつい取ってしまったことへの後悔となり、「私」のその後の人生に暗い影を落とし続けることになった。
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