夏目漱石「こころ」〜「K」が開けた襖の謎

ココロ

Kはなぜ自分の部屋で死を選んだのでしょうか。

そしてなぜ「私」の部屋との間の襖を開けていたのでしょうか。

この問いについては、「『私』に見つけて欲しかったから」という答えをよく見掛けます。

お嬢さんを奪った「私」への当てつけ、ということではなく、たった一人、信頼する人物だった「私」のそばで最後は生を終わらせたかった、という。

翌日が日曜で「私」が家にいるから、土曜の晩を選んで死んだのではないかという説もあります。

必ず「私」が第一発見者になって、自分が死んだ後のことも頼める、そういう配慮?だったのではないかと。

でもそうすると、Kが「私」宛の遺書に書いた「もっと早く死ぬべきだのになぜ今まで生きていたのだろう」という言葉の意味は何なのでしょう。

死の覚悟を決めていたKが、わざわざそういうことを考えて土曜日に自分の部屋で死を決行した?

注意したいのは、遺書の「もっと早く云々」というのは、最後に墨の余りで書き添えたらしい、ということです。

遺書に書くつもりではなかった。あくまで冷静に、自分は薄志弱行でとうてい行く先の望みがないから自殺する、そう書いてあったことに嘘はないでしょう。

「なぜ今まで生きていたのだろう」という痛切な言葉は、「私」に宛てたというより、K自身の自問、最後に書かずにいられなかったKの心の叫びだったに違いありません。

おそらく、Kは最後のこの言葉を書くまで、死のうとは決めていなかった。

彼が死んだのは、「私」の部屋との襖を開けたから。

襖の先にいる「わたし」が熟睡しているのが分かったからです。

その時、行く先の望みがないという自分への絶望だけでなく、孤独ということへの絶望が沸き上がります。

「私」があとで振り返っているように、Kは「私のようにたった一人で淋しくって仕方がなくなった結果、急に処決した」のです。

重要なのは、「急に」です。死を覚悟していても、それを実行することとの間にはものすごい距離があります。

死のう死のうと考え続けながら、生き長らえてしまった、そういう後悔もKにはあったのでしょう。

私は今でもその光景を思い出すと慄然とします。いつも東枕で寝る私が、その晩に限って、偶然西枕に床を敷いたのも、何かの因縁かも知れません。私は枕元から吹き込む寒い風でふと眼を覚ましたのです。見ると、いつも立て切ってあるKと私の室との仕切の襖が、この間の晩と同じくらい開いています。けれどもこの間のように、Kの黒い姿はそこには立っていません。私は暗示を受けた人のように、床の上に肱を突いて起き上がりながら、屹とKの室を覗きました。洋燈が暗く点っているのです。それで床も敷いてあるのです。しかし掛蒲団は跳返されたように裾の方に重なり合っているのです。そうしてK自身は向うむきに突ッ伏しているのです。

夏目漱石「こころ」(青空文庫より)

「この間の晩」とは、「私」がKに「精神的に向上心のないものはばかだ」と言い放ち、お嬢さんへの恋を諦めさせようとしたあの日の晩です。

その作戦がうまくいったと思っていた「私」ですが、

私はほどなく穏やかな眠りに落ちました。しかし突然私の名を呼ぶ声で眼を覚ましました。見ると、間の襖が二尺ばかり開いて、そこにKの黒い影が立っています。そうして彼の室には宵の通りまだ燈火が点いているのです。急に世界の変った私は、少しの間口を利く事もできずに、ぼうっとして、その光景を眺めていました。

その時Kはもう寝たのかと聞きました。Kはいつでも遅くまで起きている男でした。私は黒い影法師のようなKに向って、何か用かと聞き返しました。Kは大した用でもない、ただもう寝たか、まだ起きているかと思って、便所へ行ったついでに聞いてみただけだと答えました。Kは洋燈の灯を背中に受けているので、彼の顔色や眼つきは、全く私には分りませんでした。けれども彼の声は不断よりもかえって落ち付いていたくらいでした。

Kはやがて開けた襖をぴたりと立て切りました。

夏目漱石「こころ」(青空文庫より)

この時もKは自分の孤独に耐えられず、思わず襖を開けて「私」に声をかけたのでしょう。

この時「私」が寝ていたらその時点で死を決行したという説もありますが、それでは遺書の「もっと早く」の意味が変わってしまいます。

Kが死んだのは、薄志弱行や失恋だけではなく、たった一人の理解者、「私」にさえ自分の心が届かないという絶望に陥ったときです。

その証拠となるのが、「襖」です。

なぜ襖は開けたままだったのか、そして「二尺ばかり」ということにどういう意味があるのか?

Kの覚悟

Kは、「私」とお嬢さんの結婚が決まったことを、死ぬ数日前に奥さんの話で知っていました。

そのとき、自分がお嬢さんに好意を持っている、そのことを知っている「私」がなぜ?と思ったでしょうか。

「私」に対する不信感や嫉妬を抱くと考えるのが普通でしょう。でも、おそらくKにとって、自分以外の他者がどうであろうと大きな問題ではなかったのです。

Kは、図書館からの帰り道で「私」に相談したとき、自分なりの答えを見つけていたはずです。

「進んでいいか、退いていいか」の内容が恋愛ではなく「道」のことなら、「精神的に向上心のないものはばかだ」と言われ、「ぼくはばかだ」と認めたときに答えは出ていたのです。

自分の意志をむりやり通そうと、家族を不快にさせてきた自分。

心身ともに衰弱し、「私」に迷惑をかけてきた自分。

理想通りの道を進むこともできず、お嬢さんへの気持ちを制御することもできない自分。

どこに生きている意味があるのだろうか、そうKは考えていたに違いありません。

Kはすべてを自分で解決して来ようとした人物です。「私」に頼るのも、自分で自分のことを決められないのも許しがたい。

「覚悟」とは、そんな自分に死をもって決別する覚悟でした。

が、それをすぐに決行することがなかったのはなぜなのでしょう。

「私」に救われてきたK

Kは最後まで、他者との関係ではなく、自分の弱さと戦い、苦しんできました。

そんなKを「私」は支えてきました。

親から縁を切られた窮地を救おうとして同じ下宿に住まわせ、精神的に救おうとしてお嬢さんに近づけた「私」のこころに、Kは確かに救われていたのです。

しかし、「精神的に向上心のないものはばかだ」という言葉によって、迷っていた自分を断罪する覚悟は固まりました。「覚悟? 覚悟ならないこともない。」と。

そんなKにとって、「私」とお嬢さんが結婚することは、自分の死の覚悟を揺るがすものではありません。あくまで自分の問題だからです。

だから自分がいつ死ぬか、だけが問題だった。「死」という結論は決まっていた。

けれど、最後の一線を越えることはなかった。それはまさに「私」がいたからです。

土曜の晩、ついに彼は他者のこころ、唯一の理解者である「私」のこころに縋ろうとしました。

「襖」に隔てられたふたりの「こころ」

遺書を書き終えたKは、「襖」を開けて「私」の名を呼びました。

「二尺ばかり」というのは約60cmです。もし「私」が寝ているかどうかを確認するだけなら、その半分も開ければ済むことです。

あるいは、「私」に自分の壮絶な死を見せよう、見てほしいというならもっと広く開けるでしょう。

60cm。それはまさにKという人間が、「私」の部屋へ入るための間隔です。

体ひとつ分の長さをあけて、Kは自分の思いを伝えようとして・・・いや、伝えることさえするつもりはなく、ただ「私」のこころに近づきたかった、ということではないでしょうか。

けれど、「私」は目を覚まさなかった。

Kは、このとき世の中でたったひとりでした。

自分のこころにも、他者のこころにも寄り添えない、どうしようもない寂しさをKは遺書に書き添えます。

生きる意味がないことがもっと早くに分かっていたのに、なぜ今まで生きていたのだろう、という後悔の一文です。

それを書き終えた瞬間、Kは頸動脈を一気に切りました。

Kを救おうとして死に追いやった「私」

Kが開けたままの「襖」とは、「私」と彼のこころを隔てていたものでした。

最後に、Kが開いたそのこころに、「私」は気づくことができませんでした。

お嬢さんを取られたくないばかりにKを精神的に追い詰め、死の覚悟を強めてしまった、ということ以上に、「私」のこころを苦しめ続けた罪の意識が、ここにあります。

叔父に裏切られ人間不信になった「私」は、絶対にそういう人間にはなるまい、と信念を持って生き、窮地に陥ったKを救おうとさまざまに心を尽くしました。

それなのに、目先の欲(お嬢さん)に目がくらんで、取り返しのつかないことをしてしまった。

Kのこころを開こうとしていた「私」ですが、最後にやっと開いたそのこころに気づかないまま、Kは遠くに行ってしまった・・・

「こころ」は、そういう物語なのではないでしょうか。

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

Twitter で
4+