虹の根もとには何があるのか

日々のこと

2泊3日の金沢旅行から3日目、旅の疲れも少しずつ落ち着いて、やっと日常に慣れてきました。

買い物して家に帰れば食事の支度、片付け、洗濯などなど。上げ膳据え膳の日々が懐かしいです。休んだ分の仕事も溜まってるので、まだしばらくこの忙しない毎日の繰り返しでしょう。

思わずため息をつきそうになりますが…ここで視点を変えます。

こうした日常のおかげで、日常を全うすることで、「ハレ」の日の喜びもあるんだと。

この忙しなく意味を感じられない日々も、平和に暮らせていることの証明だと。

そうやって感謝しながら、日々の中に些細な喜びを見つけていきます。

たとえば、

昨日の夕方に走ったとき気づきました。

本当に少しですが、雲の合間から虹が出ていたのですが…分かるでしょうか?

虹を見ると、以前扱った現代文の教科書に載っていた、黒井千次氏の文章を思い出します。

「どうすれば虹の根もとに行けるか」という随想です。

子どもの頃に抱いた「虹の根もとには何があるのか」という疑問に、大人になってから偶然読んだカロッサの小説「幼年時代」が、完璧な答えを与えてくれたという話。さて、その完璧な答えとは何か…

「虹の根もとには宝物が埋まっている」

でも、それだけではないんです。

その宝物は、偶然見つければ自分のものになるけれど、わざわざ探すと罪になるのだと。

いかがですか?

それは、探そうと思っても見つからず、手に入れようと思ってもなかなか手に入らない「幸福」のことなんですね。

筆者もまた「虹の根もと」の答えを偶然見つけたのです。

どうしたらそれに出会えるのか、私なりの答えがあります。

幸福そのものでなく、日常の地道な営み。あるいは一見関係のない、さまざまなチャレンジが、やがてそこに導いてくれるのではないかなと。

とりあえず走らなかったら虹は見つけられなかったんですから。

気づかないだけで、虹の根もとはすぐそこにあるかもしれませんよね^ ^

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