夏至のきのう、3年生最後の学園祭でした。
今年は例年になく過ごしやすい天気で助かりましたが、体育館の中は冷房もなく、生徒の熱気でものすごく暑くなります。
ラストの閉祭式。合唱やパフォーマンス、展示作品の順位が発表されるたびに大歓声が上がります。普段おとなしい子たちのパワーと笑顔と涙が溢れました。
その光景を見ながら、こうしたエネルギーを38年間ももらってきたことは幸せだったなぁとつくづく思います。
…でも、今年は何か、今までとちょっと違う感覚があったんです。
生徒と一緒に喜んだり悔しがったりということもなく、冷静というか、客観的にその姿を見ている自分がいるなあと。
この違和感、なんなのでょう?
そのときふと浮かんだのが、「日曜日」の歌詞でした。
「大事にすべきものは探せばいくらでもある」、確かにそうだけど。
「だけど本当はそんなにいくつものものは守れなくて」それも実感です。
「だから選ぶんだよ僕も君も…」
-それまでいろんなものを求めてきたけれど、本当に大事なのはいちばん大切な人と一緒にいられることだけ-
「たとえ世界を救えなくたって」「有名になれなくたって」「君を守る為に生きられたら後悔しないだろう」
-幸せは、大きな望みを叶えることでなく、大切な人を守れること-
長い間続けてきた仕事に愛着はあるけれど、もう区切りの年。いつまでもそこにとどまっているわけにもいきません。
欲しいものすべてが手に入るわけでなく、やりたいことすべて出来るわけでもないなら、本当に大事なものだけを選ぶしかないですよね。
38年間は過去のものとして、60歳からの新しい何かに向かえと。
そう囁く声が、違和感の正体でしょうか。
新しい何かはまだはっきりと見えないけれど、本当に大事なものだけは分かります^ ^
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