「ファシリテーション入門〈第2版〉」(堀公俊)を通して学校の問題を考える。

日々のこと

FAJ(日本ファシリテーション協会)の基礎講座や定例会に参加して、少しずつファシリテーションが見えてきました。

そんななかで知り合った方々から、「やっぱり堀さん(協会フェロー)はすごい!」という声を何度も聞きました。

「ファシリテーション入門」 は2004年に第1版が出され、10万部のロングセラーになったそうです。昨年2018年にリニューアルされた第2版から、感じたことを書いてみたいと思います。

学校教育が抱える問題へのアプローチとしてのファシリテーション

そもそもファシリテーションという言葉は、学校現場でそれほど馴染みがありませんでした。

最近になって少しずつその重要性も意識されてきているようですが、欧米から輸入された概念、スキルを取り入れるには相当な壁があり、時間がかかります。

画一的な教育が続いてきた中で、個別に問題を抱える児童生徒の存在が次第にクロースアップされ、そこから比較的早く取り入れられたのがカウンセリングです。

当たり前のことですが、学校は事務室を除けば教師以外の職業の方がいませんし、対外的な交流もほとんどないので、どうしても閉鎖的になります。

しかも学習だけでなく、生活から進路から部活動からすべてを「指導」しなければならない立場ですので、ある意味オールマイティの能力、スペシャリストというよりゼネラリストであることが求められます。(それが教師の多忙化、ブラック化を招いてきたとも言えます。)

カウンセラー、あるいはカウンセラー的立場の方が保健室に在室されるようになったのは、そうした教師でも対応が難しい子どもが増えてきたからでしょう。(「増えた」というより「顕在化」してきたと言ったほうが正確かもしれません。)

しかし教師以外で生徒に深く関わる立場の人が、現在はこのカウンセラーくらいしかいない、そのことがすでに限界なのではないか、とも思います。

たまにエンカウンター(構成・非構成)やコーチングという言葉やその必要性が話題になることもありましたが、実際は相変わらず教師がそれぞれの信念と方法論で目の前の仕事をなんとかこなしている状態です。

しかし、このままではやがて破綻します。

大きな改革と、教師以外のさまざまな立場の人を学校に

教師は素晴らしい職業ですが、それはアカデミックな、自由な空気の中で、子どもたちとの純粋な触れ合いが許されるという前提があればこそです。

戦後に始まった現在の教育システムは、カリキュラムなどが変化しているとはいえその根本は38年前、私が教師になったときからそれほど変わっていません。

個性化、多様化というキーワードに対しても、旧態依然のシステムはそのままで、お茶を濁す程度の対応で誤魔化してきたのではないでしょうか。

しかし世界は、社会は大きく変容しています。

もはや学校は教師だけで運営できるような場所ではないのではないでしょうか。

教師と生徒という関係は、理想論で語られがちですが、それほど簡単ではありません。

さまざまな役割を持つ人々が学校の中にいて、生徒を真ん中にそれぞれが共同、協働していく、そんな姿が必要なのではないでしょうか。

そしてその中で、組織改革の意味でもまず必要なのがファシリテーションなのではないかと考えています。

学校にファシリテーションが必要な理由

(ファシリテーションは)、会議の効率化はもとより、人と組織を活性化させ、社会変革をも引き起こす力を持っています。

グローバルな自律分散社会を迎えて「21世紀でもっとも重要なスキル」と呼ばれており、現代人の必須スキルだといっても過言ではありません。

「はじめに」 

組織の会議内で有効なスキルというだけでなく、もっと大きな、社会を変えるほどの力を持っているものだと堀氏は書いています。

そして学校教育についても、

近代的な学校制度が始まって以来、均質な集団に対して画一的な授業をおこない、一方的に知識を与えるのが学校教育の姿でした。しかしながら、社会環境が大きく変化する今、生徒の学習意欲と個性を喚起し、目まぐるしく変化する社会のなかで、自律的に生きていく力を育てていかなければなりません。

さらには、多様な人たちと協働しながら、一緒に問題解決ができる地球市民を育成していかなければ、学校教育の使命が果たせません。 

第1章 協働を促進するファシリテーションの技術

と、現在の問題点とこれからの学校が目指す姿を挙げたうえで、

そのためには、教育に対する考え方や授業での教え方そのものを変革しないと、期待する効果が得られません。学習という共通の目標に向けて協働するためのプロセス改革が必要となります。

第1章 協働を促進するファシリテーションの技術

そのプロセスの改革に、人と人との相互作用を促進するファシリテーションが役立つ、というわけです。

「主体的・対話的で深い学び」というのが、これからの教育が目指す姿です。授業や行事をそうしたものに変えていくためには、教師も生徒も、このファシリテーションスキルを身につけていくことが必要でしょう。

互いの立場や性格を忖度しながらでないと発言できない会議の雰囲気があるとします。それはそのまま生徒の話し合いにも言えます。「自由に話し合ってみよう」といくら呼びかけても、口の重たい人、グループは必ず存在します。

こうした状況では、「主体的」にも「対話的」にも、まして「深い学び」にもなりようがありません。

しかしここにファシリテーターという存在がいれば、おそらくまず、「心理的安全性」の高い場を作ってくれるでしょう。そして意見が出やすい空気が醸成されれば、ひとりひとりの意識も少しずつ変わっていくでしょう。

そうやって「個」が変わり、お互いの関係も変わり、相互作用が変わればまた個も変わる。自分でしっかり考え、話し合い、深い学びに繋がっていく。そんな姿がイメージされます。

堀氏は、これからの時代、組織において強いリーダーシップも緻密なマネジメントも通用しないと言います。

問題の当事者同士が一堂に集まり、自立的に問題解決をしていく。環境変化のなかで、自分や組織の意味を問い直し、互いに協調しながら主体的に行動する。そんな社会構築主義(生命論)的な考え方が求められます。

第1章 協働を促進するファシリテーションの技術

民間の組織の中には、このような試みが進んでいるところもあります。しかし学校現場とは、内田樹氏の言うように「惰性が強い」場所です。大概のことは「昨年はこうだった」「例年と同じ」という前年踏襲のまま1年が過ぎていきます。問題を感じていても、それを変革するには相当なエネルギーが必要なのです。

自立的に問題解決」→「管理職が乗り気でないなら無理・・・」

自分や組織の意味を問い直す」→「忙しくていろいろ考えてる時間なんかない・・・」

協調しながら主体的」→「とりあえず波風立てずやっておけば・・・」

そんな雰囲気ではないでしょうか。

どうやってファシリテーションを導入するのか

堀氏がこの本のコラムに「ファシリテーションを組織に導入するには?」どうしたらいいか、を書いています。

全社的な取り組みを立ち上げ、その議論をまとめるためにファシリテーターを養成する。

あるいは、組織内にプロフェッショナルなファシリテーターを養成して現場に派遣する。

でもこれだと、教育委員会とか、都道府県レベルでやらないと厳しそうです。

そこで堀氏は提案します。

組織をあげて進めるのが無理なら、ボトムアップでいくしかありません。自身がどこかで腕前を磨き、自分の持ち場でゲリラ的にやってみるのです。小さな成功を勝ち取れれば、次の展開が期待できます。

もちろん仕事で成果を出してから、という条件付きですが、これなら、というよりこれしかないでしょう。すべては最初の一歩から。

昨年、とある教育懇談会的なものに参加した際、学校を取り巻く急激な変化に対する不安を率直に述べたことがあります。

「この教育改革、まったく先が見えません。いったいどうなっていくのでしょうか?」

それに対してどなたかにこう言われたんです。

「どうなっていくのか、というより、先生たちがどうしたいか、ですよ。」

恥ずかしながらこの言葉、耳が痛いというより、まったくそれまでの自分になかった発想でした。

「どうなるのか」という受け身でなく、「どうしたいか」と主体的に発言し、行動する。

誰かのせいにするのではなく、自分から踏み出す。

まさに目からウロコでした。

どこかでトップダウンを期待していたり、誰かがやればそれについていく、という守りの姿勢ではどうやらなにも始まらないようです。

学校現場の問題点

組織改革のために学校へファシリテーターを導入する、という視点はひとまず置いて、授業の場面を考えてみたいと思います。

「主体的・対話的で深い学び」が浸透してから、授業でグループワークを行う場面が増えてきました。

しかしとりあえずグループという形は取っているものの、授業時間の大半が従前の講義式であったり、出された問題を黙々と個別に解いているだけであったりします。

「形あって学びなし」という痛烈な皮肉がありますが、ある意味それに近い状況も存在します。

ただ、今まで知識の伝達を、いかに分かりやすく、いかに効率よく行うかだけに腐心してきた先生たちにしてみれば、この授業改革は戸惑い以外なにものでもありません。

長年培ってきたスタイルやスキルを捨てろ、と言われているようなものです。

もちろんかなり研究された授業もあるので、まずはお互いの授業を見せ合って意見交換をすることが大事だということになってはいますが、「教科」という壁もあり、これも有効に機能している学校はそう多くないと思います。

いま教師に求められているのはティーチングの技術以上にファシリテーションスキルであることは間違いありません。だとすれば、しがらみのない、忖度のない外部のファシリテーターから学ぶ、というのがひとつの有効な方法だと思うのです。

ファシリテーションの4つのスキル

  1. 場のデザインのスキル---場を作り、つなげる
  2. 対人関係のスキル---受け止め、引き出す
  3. 構造化のスキル---かみ合わせ、整理する
  4. 合意形成のスキル---まとめて、分かち合う

堀氏はこのように整理されています。

こうしたスキルを学びつつ、自分の授業に生かし、試行錯誤していく。それによって授業が「深い学び」になっていくのではないでしょうか。

ファシリテーションは知識でなく知恵だと堀氏は言います。知恵は体験から学ぶしかなく、自分がやるか、他者がやっているのを見るか、場数を増やすことが唯一の上達の道だと。

人それぞれの持ち味を生かし、できるところを伸ばす。ファシリテーターだけがファシリテーションをするわけではないので、できないところは誰かに助けてもらえばよい。理想的なのは、全員がファシリテーションシップを発揮することだと。

そのようなファシリテーションの姿勢を教師が知るだけでも、意義があると思うのです。

4つのスキルは、生徒のグループワークや教室全体の授業の中で必ず生かされます。この本から学んだことを自分の授業に生かすとすれば、という観点で考えてみたいと思います。

教室でファシリテーターになる

学校の日常で、生徒がいちばん楽しみにしている行事、それは席替えです。

その一喜一憂する姿を見るのは楽しいのですが、その配置をもとに授業の班を作るときはちょっと悩みます。

グループワークはだいたい4人ですることが多く、その中の4人、あるいは3人があまり喋らない子だったりすると、話し合いも全然進まないからです。

あるいはその中の誰かがフリーライダー、つまりただ乗り。話し合いにまったく協力しないお任せの子だったりすると、それをうまく乗せる役目の生徒が欲しいのですが、なかなかそううまくはいきません。

グループワーク自体にはかなり慣れてきて、こちらの問いに対して一生懸命考えてくれはするのですが、メンバーによる親和性の差はどうしても発生します。

ファシリテーションのスキルを生かす

ファシリテーションの4つのスキルの一つは「場のデザインのスキル」です。

この本を読みながら、班替えの際に今後取り組みたいことがいくつか出てきました。

まずはチェックインです。

お題は「今の気分」…など、気楽に話せるならなんでも構いません。ひとまわりすれば気分がほぐれると同時に、各々の心の中が少し分かります。議論になる入ったときに、発言の裏にあるものを理解する手助けになります。

第3章 場のデザインのスキル

「好きな動物」とか、「昨日食べたもの」であればハードルは下がりそうです。自分のことを語るのが苦手な生徒に、日常のちょっとした場面であえて働きかけてみることが必要なのかもしれません。

そして問題は、ファシリテーターの役割をどのように理解させ、行動させるのか。

会議の役割分担についてはこうまとめられています。

①意思決定者(リーダー)

②進行役(ファシリテーター)

③記録係(書記・板書係)

④監視役(時計係など)

グループの4人にそれぞれの役割を交互にやってもらうというのはどうでしょう。

今までは役割を特に決めてはいませんでした。リーダーを決めても名前ばかりになりがちでしたし、リーダー以外の子が積極的にならない場面もありました。

ここでは中心はリーダーではなく②の進行役です。みんなの意見を聞き、まとめるのが仕事。もし制限時間内に一致しそうもないときはリーダーに決断を仰ぐという形です。

順番に進行役をすることで、まずファシリテーターの立場を体験し、成功と失敗を繰り返しながら徐々に大事なことを理解していく…

まだ思いつきの段階で、それ以上のプランもありませんが、試してみたいと思います。

これ以外にも、振り返りの方法やワークシートの書き方など、この堀氏の本からの気づきを生かせそうなことがありました。

基礎講座でも学びましたが、ファシリテーションはスキル(Doing)と同時に、そのマインド(Being)が重要です。

堀氏が最後に書かれているこの言葉を心に留め、これからそのスキルとマインドを培っていきたいと思います。

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