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とある貧しい士人の話
昔、一人の士人がいた。裕福な家の隣に住んでいた。士人は貧しくていつも金がなく、常に隣の家の裕福さをうらやんでいた。
ある明け方、士人は正装して、隣の老人に裕福になる方法を教えてほしいと頼んだ。
老人が告げて言うには、「裕福になるのは簡単なことではない。あなたは家に帰って心身を三日清めなさい。その後に私はあなたにその方法を教えよう。」と。
言われた通りにしてまた会いに行くと、老人は士人をついたての外で待たせた。
老人は高脚の机を設け、手土産を受け取り、士人を自分のそばに近寄らせて言う。
「そもそも裕福になる方法としては、まず五賊を取り除く必要がある。それができなければ裕福になることはできない。」
士人がその五賊とは何かと聞くと、老人が言った。
「それはとりもなおさず世間のいわゆる○○○○○、これが五賊である。」と。
士人は忍び笑いをして退出した。 <「桯史(ていし)」岳珂(がくか)>
取り除くべき「五賊」とは?
さて、「五賊」とはなんでしょう?
この言葉自体は一般用語でなく、この話の中でのみ使われるもののようです。ただ「賊」ですからね、よほど悪いものであるに違いないのですが。
ちなみに「漢辞海(三省堂)」によれば、「賊」とは、
- 害。災難。わざわい。
- 刺客。暗殺者。
- ぬすびと。 ア 強盗。「盗賊」「山賊」 イ こそ泥。
- 反乱を起こし国を傾ける反逆者。
- 国政を害し、民衆に危害を加える国家の悪人。
- 外来の侵略者。
- 苗について節を食う害虫。
だそうです。(名詞の意味のみ) まあ、いい意味はないですね。
ですから、老人が取り除かねばならないというからには、相当な悪だという先入観で読んでいくことになると思います。
ところが!
士人とはどのような人物か
そもそも「士人」とは、「学識・徳行により身を立てている人」であることに注意する必要があります。
高徳の人が、しばしば貧しい生活を送る、これはよくある話です。それが生活に困窮し、やむを得ず隣の裕福な老人に教えを乞うた、というところでしょう。
そして「そんな簡単に富を得られるものではない。とりあえず3日間身を清めてきなさい。」とまことしやかに言われれば、きっと信じますよね。
おそらく、この裕福な老人(原文では「富翁」)は、この士人をからかってやろうと思ってましたね。その証拠に、身を清めるだけでなく、わざわざ家の外で待たせたり、高脚の机など、もったいつけて座をセッティングしたり。
せっかく士人が正装して手土産まで持って、真剣に聴きに行ったのに、その答えは「忍び笑い」するようなものだったのです。
「忍び笑い」した理由は?
老人から「五賊」の内容を聞いた士人は、笑いを抑えながら帰って行きます。
その答えが裕福になるために満足のいくものだったからではありません。であれば「忍ぶ」必要はないからです。
むしろ答えはその逆。「五賊」とは、
仁・義・礼・智・信
すなわち「賊」ならぬ「五常」だったのです。
これらは儒教の根本的な徳といわれるものであり、士人にとっては何より大事なもの。「お前はこんなものを持っているから金持ちになれないのだ、早く捨てろ。」と言われてしまったのです。
しかしこれを聞いた士人は、逆説的に本当に大切なことを再確認したとも言えるでしょう。
中国南宋時代の実際にあった話のようですが、さて、現在に置き換えてみてもありそうですよね。
もし老人の言葉を聞いたのが「士」でなかったら・・・
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