「スカーレット」八郎の喜美子への思い

ココロ

目次

ふたりの埋まらない溝

NHK朝ドラ「スカーレット」で、喜美子がようやく穴窯での作品作りに成功したあと、別れた八郎が「夫婦(めおと)ノート」に書いたのはたったこれだけの言葉でした。

すごいな すごいな すごいな 喜美子

もちろん自分を信じて、ついに思い通りの作品を作り上げた喜美子に対する賞賛の言葉ですが、ただ3度繰り返すだけ、それ以外の言葉が書けなかった八郎の気持ちが痛いほど伝わってきます。

でも、その「痛み」ってなんなのでしょう。もう少し考えてみたいと思います。

そもそも穴窯を作ることを喜美子に勧めたのは八郎でした。穴窯ならこんな色が出せる、と思いつつも、それには膨大な費用がかかるために諦めていた喜美子に、今やりたいことは今やるべきだと説いたのです。

しかし、喜美子の2回の挑戦は失敗。用意していた費用も底をつき、これ以上は無理だと現実を見た八郎は一転、穴窯での作品作りをいったんやめるように説得します。

でも喜美子はもう止まりません。「ハチさんに足りんのは信じる力や!」と言って自分の思いを通そうとします。

そのあと八郎は家を出て行ってしまいます。彼にすれば、武志のための貯金にまで手をつけようとする喜美子をなんとしても止めたかったために「家を出る」と言ったのであり、本当にそのまま別れようと思っていたわけではないはずです。

しかし、喜美子には、夫婦なら、八郎なら分かってくれるはず、なんで・・・という思いがあります。

陶芸家同士なのだから、納得のいく作品を作りたいという気持ちを理解できるはず。

一方で八郎は、陶芸家としてではなく女として、妻としての喜美子を見ています。

どちらが悪いということではまったくありません。このギャップ、どうしても埋まらない溝があろうことか八郎の提案した穴窯によって作られてしまいました。

なぜ穴窯作りを勧めてしまったのだろう、という後悔。

なぜ現実が厳しいということを分かってくれないのだろう

なぜ喜美子を、妻を、家族を思う自分の気持ちを理解してくれないのだろう

なぜ自分が家を出ても、考え直してくれないのだろう

なぜ・・・

八郎は、ずっとそんなふうに考えていたのではないかと思います。

自分を信じ切った喜美子への思い

7回目の挑戦。八郎は危険だからと止めますが、今までにない、2週間という長丁場の釜焚き。とうとう釜が燃え出します。

それでも火を燃やし続ける喜美子。「芸術家の狂気」のような炎です。

そしてついに喜美子にしか出せない「自然釉(しぜんゆう)」に成功します。

そのことを知った八郎は複雑な心境だったのではないでしょうか。

妻の成功を喜びたいけれど、あれほど止めた自分は何だったのか。

陶芸家としての自分に煮詰まって、なかなか新しい作品が出来なくて悩んでいた自分。それに比べて、喜美子は…

陶芸家の前に、「妻」「女」であってほしいという願いも虚しく、喜美子はひとりになっても陶芸家になる決心をしました。

現実的であろうとして夢想家の妻に負け、かつては自分が教えていた陶芸の道でも妻に負けた・・・

「足りんのは信じる力や!」と喜美子に言われた言葉が蘇ります。

賞賛の裏にあるもの

すごいな すごいな すごいな 喜美子

そうやって改めてこの「すごいな」のリフレインを見てみると、本当に切なくなります。

当時はまだ男性が仕事、女性が家事という分業制が当然だった時代です。そのなかで八郎は喜美子の穴窯への思いを理解し、できるだけそこに寄り添ってあげようとしていたのでしょう。

でもそれが家庭を崩壊させるようなものであってはならない。男として、家庭を守るためには喜美子の「執心」を断ち切らねばならない。

穴窯はあくまで喜美子の「趣味」であり、それ以上のものにはできない。

これを八郎の限界とすることはたやすいですが、私には言えません。

自分自身も川原家を出るという、息子の武志とも離れるという大きな犠牲を払ったのに、得られたのは妻の偉大さと自分の器の小ささだけ。

穴窯での作品作りを信じ切ったこと喜美子への賞賛の裏に、そんな複雑な心情があるというのはうがち過ぎでしょうか。

物語はまだ続いています。このふたりの関係、いったいどうなるのでしょうか。

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