吉本騒動に思うこと〜初期対応の重要性とボタンの掛け違い、そして~

ココロ

宮迫氏と田村氏、吉本興業の岡本社長の会見をそれぞれ見ました。(全部ではありませんが)

岡本社長の会見は異例の5時間以上にも及んだそうで、聞かれたことにはすべて答えるという、社長なりの誠意の表れだったかもしれません。

気になったのは、この問題、誰も彼もとにかく「悪者探し」とその非難に躍起になっている感がするのです。

2人が詐欺グループの忘年会に参加してしまったことは事実でしょう。それは2014年12月だそうですから、今から4年半以上前のこと。

この4年以上前であったという点も、当事者が速やかに対応する判断を鈍らせたかもしれません。

4年以上前の「過ち」を急に問われたら・・・、それが自分だったらどう思うでしょうか。

参加したことは認めても、金銭をもらったことは「嘘」ではなく、もしかしたら「記憶がない」で通せるかもしれない・・・そんなふうに考えてしまったかもしれません。

そして、これほどまでにマスコミやネット・SNSで非難されることもその時点で想定していなかったのではないかと思うのです。

もちろんいずれ分かることですし、その時点でそれを打ち消して正直に言えることが重要でした。そういう意味では2人が初期対応を間違ったことは否めません。

知らずに参加してしまったことを責める口調は少ないようですが、嘘をついたことにはきわめて厳しいのが世間の声。忘年会参加が時間的にかなり前のことであっても、嘘は「今」のことですからね。

2人が苦しんできたのも、まさにあの「嘘」への謝罪をしたかった、それができずに非難され続けてきたからのだと思います。

しかし、今の状況は、「反社会的グループとの交際があったのに隠していた」ようなイメージです。さらに宮迫氏には、以前の不倫疑惑まで引き合いに出して、全人格を攻撃するような言葉も飛び交っています。

果たして、そこまで我々は彼らを苦しめていいのだろうか、と同情ではなく、自分事として考えたときに感じました。

最も非難すべきは、あの2人でも吉本興業の社長でもなく、詐欺行為等を働いたグループであるはずなのに、そこに誰も視線を向けないのも不思議なことです。

フライデーが記事を載せた時点で、宮迫氏たちへのバッシングが始まることも予想していたでしょう。それが最終的に、反社会的行為への世間の厳しい目に繋がるならまだしも、現状はそうではない。そこに行きつくまで、記事を載せたほうには責任があるのではないでしょうか。

岡本社長についても同様です。

ふたつの会見で思ったことは、吉本は「ファミリー会社」なのだろうな、ということ。「家族」だから、お互いを信頼して助け合ったり、時にはかばい合ったりしてきたのだろうと。

それがいちがいに悪いというわけではないでしょう。少なくとも今までの日本であればよくある形態だったと思います。

社長は親だから、子どもである芸人に、「親の言うことを聞け」というのは昔は普通です。子どもが嘘をついたことに苦しんでいても、それを正直に言う方がリスクがある、あるいは言わない方が守れる、と考えれば会見をさせないのも分からなくはない。

ただ、時代は変わっていました。

「これほどまでに子どもが苦しんでいるとは思えなかった。」という言い分でしょうが、ネット時代の今、24時間どこにいても非難にさらされる、その状態にもう少し思いをはせられれば、違う対応があったかもしれません。

いずれ、芸人たちも、吉本興業も、今という時代状況を読めずに、ボタンを掛け違えてきてしまったのだろうな、と。

それにしても彼らの「嘘」と、会社の体質に対してだけの批判であればいいのですが、個人への攻撃が酷すぎる状態になっていないでしょうか。

責任を取って引退する、解雇する、減俸する、と言って、それが何の、誰に対しての責任なのか。それが分かりにくいということが、まさに今の状況を表しています。

「正義」とはつくづく恐ろしいものです。

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